神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アブデーラ(7):デーモクリトス(2)

彼はいわば物理学者の遠い祖先のような人ですが、その他のさまざまな学問も研究していました。彼の著作の範囲は広く、それらは倫理学関係、自然科学関係、数学関係、文芸・音楽関係、技術関係の著作に分類出来るとディオゲネース・ラーエルティオスは伝えています。人生論的な見解として彼はこんな見解を持っていました。

「快活さ」(エウテュミアー)が人生の終局目的であるが、これは、一部の人たちが聞き間違えて受けとったように、快楽と同じものではなく、いかなる恐怖や、迷信や、その他何らかの情念によっても乱されないで、魂がそれによって穏やかに落ちついた状態で時を過すことになるもののことである。


ディオゲネス・ラエルティオス「ギリシア哲学者列伝」第9巻第7章「デモクリトス」より

このあたり、約120年後に現れる哲学者エピクーロスと似た見解だと思いました。「快活さ」に関連した話ですが、彼自身が快活な性格だったので「笑う人」とか「笑う哲学者」とか呼ばれていました。


(左:アブデーラのコイン)


彼が非常に観察眼の鋭い人であったという逸話もあります。当時の有名な医者であったヒポクラテースが彼の家を訪問した時のことです。

ヒッポクラテスが彼のところへ訪ねてきたときに、彼はミルクを持ってくるように頼んでおいた。そして、持ってきたミルクを彼は眺めた上で、これは初子を産んだ黒色の雌山羊のものだろうと言った。それで、彼の観察の正確さに、ヒッポクラテスは驚嘆したのだった。


同上


デーモクリトスが亡くなる時の様子は次のように伝えられています。

デモクリトスの最後の模様は次のようなものであったと、ヘルミッポスは伝えている。すなわち、彼はすでにもうたいへんな高齢になっていて、死期も近い状態にあった。それで彼の妹は、テスモポリア祭の期間に彼が死んでしまいそうであり、そうなると、自分は女神に対して果すべき務めを果せないでしまうことになるだろうと悩んでいた。


同上

テスモポリア祭というのは農業の女神デーメーテールのためのお祭で、これは男子禁制の女性だけで執り行われる祭事で、当時その祭事は重要なものと考えられていました。それでデーモクリトスの妹はそのことを心配していたのです。

そこで彼は、心配しないようにと妹に言い、毎日、温いパンを自分のところに持ってくるように命じた。そうして彼は、この温いパンを自分の鼻の上にあてがいながら、その祭の期間、自分を持ちこたえさせたのだった。しかし、祭の期間――それは三日間であったが――その期間が過ぎると、彼は苦しむことなしにこの世を去ったのである。


同上

彼はパンの匂いを嗅ぐことで気力を保ったということです。もしこの話が本当だとすると、原子論者であった彼も当時の信仰を尊重する姿勢を持っていたということになりそうです。


さて、私には信じがたい話ですが、デーモクリトスよりさらに30歳ほど若い、有名な哲学者プラトーンが、デーモクリトスの書物を燃やしてしまおうとした、という話をディーオゲネース・ラーエルティオスは記しています。

プラトンがそうしようとしたのは明らかである。なぜなら、プラトンは、昔の哲学者たちのほとんどすべての人に言及しているのに、デモクリトスには一度もはっきりと言及していないばかりか、デモクリトスに対して何らかの反論をする必要がある場合にさえも、言及していないからである。それというのも、明らかにプラトンは、哲学者たちのなかでもっともすぐれた者になろうとすれば、デモクリトスが自分にとっての競争者となるだろうということをよく知っていたからなのである。


同上

デーモクリトスが競争者になるからといって偉大な思想家のプラトーンが、その書物を焼くというセコいことをするものでしょうか? 一方で、プラトーンが書物のどこにもデーモクリトスについて言及していない、というのは本当のように思えます(それほど読んではいませんが・・・・)。とても気になる記述です。