神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アブデーラ(8):アナクサルコス

さて、デーモクリトスが亡くなった頃からアブデーラの地位は低下し始めました。アブデーラはBC 376年、北方のトリバリ人による略奪を受けました。BC 350年にはマケドニア王国のピリッポス2世の攻撃を受け、その支配下に入りました。このピリッポス2世の息子が有名なアレクサンドロス大王です。


旧ペルシア王国領を進撃するアレクサンドロス大王随行した哲学者のなかに、アブデーラ出身のアナクサルコスがいます。彼の師匠はキオスのメトロドロスであり、このメトドドロスはデーモクリトスの弟子だったと伝えられています。ということはアナクサルコスはデーモクリトスの孫弟子にあたることになります。デーモクリトスがエジプトやペルシア、インドまで行って賢者を求めたという伝承がありますが、アナクサルコスがアレクサンドロスに従ったのもデーモクリトスに影響されてインドまで行こうとしてなのかもしれません。アナクサルコスは実際にインド人の賢者に出会ったという伝えもあります。


さてアレクサンドロスは、征服を進めていくうちにギリシア人、マケドニア人の風習を段々捨てていき、ペルシア風の習慣を身につけて、自分を神の子とし、自分に対して跪拝の礼をとることを要求し始めました。このアレクサンドロスの自己神格化に対しては従軍しているギリシア人から反発がありましたが、これにからんでのアナクサルコスの逸話があります。ところがその逸話の中にはアレクサンドロスの神格化に迎合するような内容のものと、神格化の虚偽を指摘するような内容のものの両方があり、アナクサルコスの真意がどうだったのか、私には判断出来ません。

(上:アレクサンドロス大王


アレクサンドロスの自己神格化を否定するような逸話は次のようなものです。

アナクサルコスはアレクサンドロスがその身体の傷から出血しているのを指して彼に言った。「死すべき者の血を見て下さい。それは不死の神々の血管からながれるイコール(神血)ではありません。」

また、こういうのもあります。

アレクサンドロスが医者からスープを処方された時にアナクサルコスはそれを見て笑って言った。「我らが神の希望はスープのお椀の中にある。」


一方、アレクサンドロスの自己神格化に迎合するような内容の逸話をプルータルコスが伝えています。


ある酒宴の席でアレクサンドロスは、彼に不満をぶつけた部下のクレイトスを怒りに任せて殺してしまいました。アレクサンドロスはすぐに後悔して自分も死のうとしたのですが、親衛兵たちがその手を抑えて止めさせたのでした。アレクサンドロスが後悔のあまり翌日も自分の部屋から出てこないので、周りの人々は心配して従軍していた2人の哲学者をアレクサンドロスの部屋に送り込みました。

 そこで人々はアリストテレスの親戚の哲学者カリステネスとアブデラの人アナクサルコスを連れて来た。この二人のうちカリステネスは倫理学に基いて説得し、理を説いてほのめかしながら巧みに話し、遠まわりをして苦しみを与えないで悲しみを去らせようとしたが、アナクサルコスは哲学において独特の道を歩み、朋輩を無視、軽視するという評判をとった人で、はいって来るなり、すぐ大声をあげて次のように言った。「これが今世界が見つめているアレクサンドロスだ。それが今奴隷のように身を投げ出して涙を流し、人間の法律や非難を恐れておられる。勝利の末、支配と権力とを握られたのだから、御自分こそ人間の法律となり、正義の基準となるべきで、あだな世評に屈して奴隷となることはないのです。」そしてさらに言った。「(中略)権力を持つものによって行われたことはすべて、人の法によっても神の法によっても認められた、正しいものであるということがおわかりにならないのですか。」アナクサルコスはこのような論法で王の悲しみを軽くした。


プルータルコス「アレクサンドロス伝」52 井上一訳より

AD 2世紀の歴史家アッリアノスはその著「アレクサンドロス東征記」のなかで同様の逸話を記し、アナクサルコスは、お追従から彼に神格化をそそのかす連中のなかでも目立った人物であり、こういう言葉によってアレクサンドロスに対して害をなしたのだ、と述べています。


しかし、アナクサルコスの最期の様子と伝えられるものからは、阿諛追従の徒のような様子は見えません。むしろ、その信念の強さが伺われます。


(左:キュプロスの都市サラミースの王 ニコクレオン)

あるとき宴席でアレクサンドロス大王から「この料理はどうだ」と訊かれて、彼は「陛下、何もかもけっこうなものでございます。しかしただ一つだけ不足なものがございます。ある知事の頭が出されていましたら、と存じますが」と答えた。この言葉はペルシアの総督ニコクレオンのことを暗示したものだった。ニコクレオンはこれを聞いて、遺恨骨髄に徹したというか、いつまでも忘れなかった。大王の死後、アナクサルコスは航海中その意に反してキュプロス島に連れていかれた。そこでニコクレオンは彼を捕え、石臼に投げ込み鉄の杵で搗(つ)き砕けと命じた。しかしアナクサルコスはこのような残酷な処刑を少しも恐れないで、「アナクサルコスの皮を剥げ、しかしアナクサルコスは剥げないぞ」と叫んだ。すると、ニコクレオンはその舌を切り取れとさらに命じた。彼はひと手を待たず、みずから舌を嚙み切って、それをニコクレオンに吐きかけた、という。


山本光雄著「ギリシア・ローマ哲学者物語」より