神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

イオス(3):島の歴史

ギリシアの暗黒時代を抜けたあと、BC 8世紀にはイオスはイオーニア人の島でした。おそらくは近隣の島々と同じようにデーロス島を神聖視していたことでしょう。ホメーロス風讃歌のなかの「アポローンへの讃歌」ではデーロス島の祭に集うイオーニア人たちの姿が歌われていますが、その中にイオスから来た人々もいたことでしょう。

その地(=デーロス)には、裳裾ひくイオニア人が、自分たちの子供や貞淑な妻を伴い集まりつどう。彼らはあなた(=アポローン神)を記念して競技の場を設けては、拳闘に、舞踊に、歌にと、あなたを喜ばせる。
 イオニア人がつどう場にいあわせた者は、この人々を不死なる者、老いを知らない神々に違いない、と言うほどだ。それほどまでに彼らのすべてが美しい。男たちも、帯の美しい女たちも美しく、彼らの足速い船、豊かな品々、これらを目にするならば、心楽しまずにはいられない。


岩波文庫「四つのギリシア神話―「ホメーロス讃歌」より―」の「アポローンへの讃歌」逸見喜一郎訳 より


イオス島はキュクラデス諸島の中に位置します。大きさは伊豆大島ぐらいです。イオス島の北にはナクソス島パロス島があり、南にはテーラ島(サントリーニ島)があります。また、西にはミロのビーナスが出土したことで有名なメーロス島があります。ナクソスパロスはともにイオーニア人の島でしたが、テーラ島メーロス島はドーリス人の島でした。

伝説によればテーラ島の住民はスパルタからの植民者で、それ以前にはそこにはフェニキア人が住んでいたということです。イオス島にもかつてはフェニキア人が住んでいたようです。では、もっと前はどうかといいますと、フェニキア人の前にはミュケーナイ文明の影響下にあり(とはいえ、原住民の系統は特定出来ていないと私は思います)、それ以前はミノア文明の影響下にあり(ミノア文明の担い手はフェニキア人に近いセム系の民族だったという説もあります)、もっと前はキュクラデス文明の影響下にありました。


イオス島へイオーニア人の誰それがやってきて町を建設した、という物語があれば知りたいのですが、今のところそのような物語を見つけてはいません。北のナクソスについてはヘーロドトスが

ナクソス人は起源をアテナイに発するイオニア民族である。


ヘロドトス著「歴史」巻8、46 から

と述べているので、あるいはイオス島もアテーナイからの植民者によって建設されたのかもしれません。現代のイオスの港の近くに、ホラと呼ばれる白亜の建物がひしめき合っている小山がありますが、そこがかつてのアクロポリスだったそうです。


BC 6世紀にナクソスの僭主リュグダミスナクソスを隆盛に導いた時、イオス島はナクソスに服属していたのかもしれません。その後のBC 490年、ペルシア軍がナクソスを占領した際には、イオス島はナクソスから独立出来たかもしれません。イオス島はペルシア軍の進路から外れていたので、おそらくペルシア軍はやって来なかったことでしょう。2回目のペルシア戦争(BC 480年)の時もイオス島はペルシア軍の進路から外れていたので。実害はなかったようです。ヘーロドトスの「歴史」にはイオスの名前は一度も登場していないので、このあたりは推測するしかありません。


ペルシア戦争後、イオスは、アテーナイが組織したデーロス同盟に参加しています。