神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

イオールコス(6):その後のイオールコス

おそらくペーレウスによる侵攻によってイオールコスは大きなダメージを受けたのでしょう。その後のイオールコスについてはほとんど話が伝わっていません。では、ギリシア英雄伝説のほぼ最後の時代に当るトロイア戦争の当時、イオールコスはどんな様子だったのでしょうか? それを探るためにホメーロスを当ってみました。するとホメーロスの「イーリアス」に次のような記述を見つけました。

 さてボイベーイスの沼のかたえの、ペライの町を領する者ら、
ボイベーやグラピュライ、またはよく築かれたイオールコスなどを――
その人々が十二艘の船々に大将たるは、アドメートスが若子(わくご)としられた
エウメーロスで、女人のうちにも人柄すぐれたアルケースティス、ペリアースが
娘らのうち、とりわけて容姿(みめ)美わしいその女(ひと)が、アドメートスに生んだるもの。


ホメーロスイーリアス 第2書」呉 茂一訳 より


この記述からするとイオールコスはエウメーロスという人物によって治められていたということになります。エウメーロスの父親アドメートスは伝説によればペライの王であるので、エウメーロスの本拠地もペライであるようです。エウメーロスはどういう理由でイオールコスをも支配しているのでしょうか? まず考えられるのは、上の記述に「女人のうちにも人柄すぐれたアルケースティス、ペリアースが娘らのうち、とりわけて容姿(みめ)美わしいその女(ひと)が、アドメートスに生んだるもの」とあるように、エウメーロスの母親がアルケースティスで、アルケースティスの父親がイオールコス王ペーレウスである、という血筋からだという理由です。アルケースティスについては、夫アドメートスが若死する運命であったのをその身代わりになって死んだが、その後英雄ヘーラクレースによって冥界より連れ戻されて生き返った、という伝説があります。しかし、これはイオールコスのことではないので、ここでは省略します。



(左:アルケースティス)

また、エウメーロスの父親アドメートスのそのまた父親であるペレースは、イオールコス王アイソーンの弟でもあるので、その血筋からもイオールコスの王位を請求出来そうです。

つまり、イオールコスはこの頃には独立を失って、ペライの支配下に置かれていたようです。


その後、暗黒時代のイオールコスについては何も分かりません。暗黒時代を抜けたあとのイオールコスは小さな町になっていたようです。文献にはめったにその名前が現れない、ということです。その中でヘーロドトスの「歴史」には、1回だけイオールコスが登場するのでご紹介します。

こうして右の計画は中止になったが、スパルタを追われたヒッピアスに、マケドニア王のアミュンタスがアンテムスという町を、またテッサリア人はイオルコスの町を提供しようと申し出た。しかしヒッピアスはその申し出のどちらも断わってシゲイオンに帰っていった。


ヘロドトス著「歴史」巻5、94 から

この記事はBC 510年頃のことだそうです。かつてアテーナイの僭主だったヘイシストラトスの子ヒッピアスは一旦はスパルタに迎えられ、スパルタは彼を援助してアテーナイの支配者に返り咲かせることを計画しました。しかしスパルタの同盟諸国が反対したのでその計画を取りやめたのでした。スパルタから用済みとされたヒッピアスに対して、テッサリア人がイオールコスの町を提供しよう(そこにはもちろん何らかの政治的意図があったのでしょう)と申し出たのですが、ヒッピアスはそれを断って、自分がまだ支配権を持っているシゲイオン(かつてのトロイアの近くにある町)に帰国した、ということです。結局、この記事からはこの頃のイオールコスについては、「町が存在した」ということ以上の情報はえられません。


では、かつて伝説に歌われたイオールコスは根も葉もないことだったのでしょうか? 近年になってそうではないことが明らかになってきました。2001年に現在のヴォロス市の西、ディミニという場所にミュケーナイ時代(この時代の出来事がのちに英雄時代の伝説になったと言われています)の王宮の跡が発掘されたのです。多くの考古学者たちがこの場所がかつてのイオールコスであると、推定しました。さらに、この王宮のあった時代に、海が現在よりも王宮の近くまで迫っていたことも分かってきました。

(ディミニの遺跡)


イオールコスは、ちょうどトロイアと同じように、かつては栄えていて、多くの伝説を残した町でしたが、歴史時代に入ると小さな町になってしまったようです。これで、私のイオールコスについての紹介を終わります。