神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ヘルミオネー(6):タウリケのイーピゲネイア

タウロイ人の国タウリケでの風習のひとつには、その国にやってきた異国人、特にギリシア人をアルテミスにいけにえとして捧げるというものがありました。イーピゲネイアは、それに直接手を下すことは要求されませんでしたが、いけにえにされる人に対して浄めの儀式をすることをタウリケの王から要求されていました。


やがて年月が流れていきます。その間にトロイアは陥落し、アガメムノーンは勝利者としてミュケーナイに帰国しますが、そこで自分の妻クリュタイメーストラーに殺されてしまいます。その原因は、イーピゲネイアをいけにえに捧げようとしたことを恨んでのことと、言われています。その頃幼子だったオレステースはやがて成人すると、神アポローンから、父親の仇を取れ、と命じられます。その命に従って自分の母親クリュタイメーストラーを殺したところ、今度は母親殺しであるとしてオレステースは復讐の女神たちに追われる身となるのでした。アポローンの託宣では、復讐の女神から自由になるためには、タウリケにあるアルテミス神殿から神像を取ってくる必要がある、ということでした。エウリーピデースの悲劇「タウリケのイーピゲネイア」でオレステースは以下のように語っています。

あなた(アポローン神のこと)の託宣が私を連れこんだのは、父上の血に仇を討って、母親を死なせて、そのあげく立ち替わり追い懸けて来る復讐女神(エリニュス)のために、故郷を離れてさすらい歩き、馳路(かけみち)の往復(ゆきき)をしおえたことももう幾度だろうか。
 以前お詣りして伺ったのは、どうしたらこの車輪を追って駈け回る狂乱と私の艱難の終局に、行き着けようということでした、――その苦しみにギリシアじゅうを巡り巡って悩みつくしたが――すると貴神(あなた)のお告げでは、タウリケの国の境へ行け、そこにお妹のアルテミス神の祭壇があるから、このところへ大空からその神殿へ降って来たと言い伝えにある女神の像を取って来るのだ。謀りごとによってなり、機に乗じてなりそれを手に入れ、苦難を満し終ってから、アテナイの国へそれを渡してやれと、(後略)


ギリシア悲劇全集Ⅳ」の中の呉茂一訳「タウリケのイピゲネイア」より


(上:復讐の女神たちに追いかけられるオレステース)


オレステースは親友のピュラデースとともに、はるばる黒海沿岸のタウリケに行きます。しかし、2人は神像を手に入れる前に原住民につかまってしまいます。そして、アルテミスの祭壇にいけにえにされるためにイーピゲネイアのところへ引き立てられてきました。イーピゲネイアはオレステースと対面するのですが、二人とも自分たちが姉弟であることを知りません。


オレステースの話からオレステースがミュケーナイの人であることを知るとイーピゲネイアは自分の父と母、つまりアガメムノーンとクリュタイメーストラーの安否を尋ねます。二人とも死んでしまったことを知ったイーピゲネイアーは次にオレステースの安否を尋ねます。しかしオレステースは自分がそのオレステースであることを告げず(というか告げる気にならず)存命であることだけを伝えます。するとイーピゲネイアは、オレステースたちに、あなたがたを助けるのでミュケーナイに帰ったらオレステースに伝えてほしいことがある、と言います。その内容は、自分は姉のイーピゲネイアである、アウリスで死んだと皆に思われているが、実はここタウリケで生きている、タウリケにやって来て自分をここから故郷に連れて行って欲しい、というものでした。それを聞いたオレステースとピュラデースは驚き、オレステースはイーピゲネイアに、自分こそ弟のオレステースである、と告げます。

(上:ピュラデース、オレステース、イーピゲネイア)


イーピゲネイアは2人とともに自分も故郷に帰ることを図ります。タウリケの王に対して「この者たちは母親殺しの不浄な者たちである。そのためアルテミス様に捧げるまえに、この者たちを海で清めなければならない。さらに、この者たちはアルテミス様の神像を汚(けが)したので、神像も一緒に清めなければならない。」と告げます。タウリケの王は快諾します。イーピゲネイアは2人を連れて海で清める、と見せかけて、オレステース達がここまで載ってきた船(その中には大勢の船子たちが待っていました)に載って、そして神像を携えて、タウリケから逃走したのでした。


やがて、彼らが神像を持って逃げ去ったことがタウリケの王の耳に入ります。王は手勢を連れてイーピゲネイアたちを追いかけようとします。そこへ女神アテーナーが現れて、オレステースにはアポローンの神託が下ったこと、そして彼の行動は神意に基くものであることを解き明かし、王に後を追わないように告げたのでした。


以上がイーピゲネイアにまつわる物語です。次はヘルミオネーにまつわる物語を紹介します。