神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモス(4):ヘーラー神殿


 サモスで有名だったのは、ギリシア神話で神々の王ゼウスの正妻とされるヘーラーに捧げられた巨大な神殿でした。この神殿はサモスの町の西6kmのところにありました。残念なことに今では上の画像のように柱が1本残っているだけです。日本語のウィキペディアによれば、この神殿は4回に渡って建設されたということです(英語のWikipediaでは、3回となっている)。


 最初の神殿はBC 750年頃に建設されましたが、BC 670年頃に水害によって倒壊しました。2番目の神殿は最初の神殿の倒壊直後から建設が始まりました(英語版のWikipediaではこの神殿建設についての記事がありません。)。3番目の建設はBC 570年頃に、幅 52.5 m、奥行き 105 mという巨大な神殿が建設されました。アテーナイの有名なパルテノン神殿は、幅30.9m、奥行き69.5mなので、それよりはるかに大きな神殿です。建設したのはロイコスというサモスの建築家でした。残念なことに建設から約10年で、たぶん地震によりこの神殿は倒壊しました。最後の神殿はBC 530年頃、サモスの有名な僭主ポリュクラテースの命によって建設が始まりました。この神殿はさらに規模が大きいものでしたが、そのために工事が完了せず、なんと250年に渡り建築が継続されたのち、最終的に未完成のまま放置されました。

サモス人が完成した第三の大事業というのは、われわれの知る限りでは世界最大の神殿で、最初にこの建造に当ったのはピレスの子ロイコスという土着人の技師であった。


ヘロドトス著「歴史」巻3、60 から

ヘーロドトスは3番目の建造からしか知らなかったようで、上の引用では3番目の建造を「最初にこの建造に当ったのは」と叙述しています。また、この時の神殿を「われわれの知る限りでは世界最大の神殿」とヘーロドトスは書いています。


女神ヘーラー


 ところで私は、上に説明した最初の神殿以前にもそこには聖域があったのではないか、と想像しています。そしてそれはサモスへイオーニア人がやってくる以前からあったのではないか、と思っています。その理由は「サモス(1):サモス植民」で紹介したアドメーテーの物語、つまりアルゴスのヘーラー神殿の宮守だったアドメーテーがその神像を持ってサモスまで逃げてきた。そして、その時にはすでにそこにはレレクス人の建立になる古い神殿があり、そこに神像を安置した、という物語の存在です。この物語は、イオーニア人植民以前にレレクス人の聖域がそこにあったことを示唆しています。もちろん、そこで祭られている女神はギリシア人の女神ヘーラーではなくレレクス人の女神だったのでしょう。それをあとからきたイオーニア人が自分たちの信仰する神々のなかからヘーラーを割当てたのだと思います。つまり異国の女神を、ヘーラーであると再解釈したのです。これと同じようなことはエペソスでも起こりました。エペソスのアルテミス神殿の起源はイオーニア人到着以前に遡ります(それについては「エペソス(2):アルテミス神殿」を参照して下さい)。おそらくは地母神の系列に属すると思われるこの女神がどのような存在だったのか、なかなか知る手だては残されていませんが、そこに私の興味があります。