神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エペソス(5):ヒッポナクス

サルディスが陥落しエペソスもペルシアに征服された頃に活躍した、エペソス生まれの詩人がいました。しかし、ひょっとするとこの時にはすでにエペソスを離れて、
クラゾメナイに住んでいたかもしれません。というのは年代がはっきりしないのですが、この詩人、ヒッポナクスはエペソスの僭主のアテナゴラスとコマスによってエペソスから追放され、クラゾメナイに定住した、という伝承があるのです。遅くともBC 538年頃にはクラゾメナイに住んでいたようです。この伝承で私が興味をもったのは、この時期、エペソスに僭主がいたということと、その名前が分かったことです。彼らについてもう少し情報があるといいのですが・・・・。


さて、ヒッポナクスというのは詩人ではありますが、その詩は悪口の詩なのです。彼の詩は断片が少し残っているだけですが、それでもその口の悪さが想像できます。例えば、

おまえが泣き叫んだ時どんなヘソ切りがおまえを拭いて洗ったのか、おまえ、頭にひびが入った生き物よ。

というものがあります。この詩行で「ヘソ切り」というのは産婆のことを意味しています。このような変な言葉を作って多用するところが人気を博したらしいです。あるいは、こんなのもあります。

ゼウスよ、父なるゼウス、オリュンポスの神々の王よ
なぜあなたは私に黄金を与えてくれないのか?

あるいは、大食いという評判のエウリュメドンティアデスという長い名前の人をののしった、こんな詩もあります。

ムーサ*1よ、エウリュメドンティアデスのことを歌え、海をがぶ飲みするカリュブディス*2
彼の食欲は鋭くスライスするナイフ、彼のテーブルマナーは酷いもの。
歌え、いかにして公的な判決で有罪とされ、彼が石の雨の下で、
不毛の塩辛い海の浜辺で、不愉快な様子で死ぬことになるかを。

これはホメーロスオデュッセイアーの冒頭のパロディだそうす。オデュッセイアーは以下のように始まります。

あの男の話をしてくれ、ムーサよ、術策に富み、トロイアの聖(とうと)い城市を
攻め陥してから、ずいぶん諸方を彷徨(さまよ)って来た男のことを。


ホメーロスオデュッセイアー」冒頭、呉 茂一訳


私は以上の情報を英語版のWikipediaの「ヒッポナクス」の項から得たのですが、彼の詩は至って下品なようです。英語版のWikipediaの「ヒッポナクス」の項には私がここに載せるには抵抗を感じるような言葉づかいも載っていました。私は書きません。


こんな下品な詩を書く詩人で、残っているわずかな伝説によれば本人自身もごろつきの生活をしていたようですので、私はこんな人間のことが後世まで残るとは思えませんでした。しかし彼の詩は、のちのヘレニズム時代の頃のアレキサンドリアの学者たちの興味を引いたそうです。いわく「活気ある罵りに適した文学的なパロディーや『ダサい』韻律を発明し、アリストパネスのような喜劇作家に影響を与えたと評価している」のだそうです。また「カリマコスやヘロダスのような、言語の伝統から外れたスタイルや使用法を探求するアレクサンドリアの詩人に影響を与え」たのだそうです。


彼の人生にまつわる伝説は断片的で互いに矛盾しているそうです。その少しを紹介します。


彼は僭主のアテナゴラスとコマスによってエペソスから追放され、その後
クラゾメナイに定住した。当時、ブパロスとアテニスという有名な彫刻家がいた。彼らは代々彫刻家の家に生まれ、この頃、その技術において名声を博していた。ヒッポナクスはブパロスの娘との結婚を申し込んだが、ブパロスはヒッポナクスの身体の醜さゆえにそれを拒否した。その上、ブパロスとアテニスはそのことを揶揄するようなヒッポナクスの肖像(彫刻?)を作った。そこでヒッポナクスは彼らを侮辱する詩を書いた。彼は詩の中でどう猛に報復したのでブパロスは首を吊った。


どこまで本当か知りませんが・・・・。


彼が醜かったというのは、その詩の内容からの想像によるものかもしれません。上の画像は後世の想像画です。


彼のことを調べてもサルディスの陥落、ペルシアによるイオーニアの征服、といった大事件のことはさっぱり出てきません。ペルシアによるイオーニアの征服の際に、エペソスにいなかったにしても
クラゾメナイだってペルシアと戦ったのですから、彼の人生に何らかの影響があったはずだと思うのですが・・・・。彼は、戦いに赴く人たちを皮肉な目で眺め、毒づいていたのかもしれません。

*1:詩の女神

*2:ギリシア神話に登場する海の怪物で、渦巻きの真ん中にいていろいろな物を飲み込んだり、あるいは吐き出したりしていた。