神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クラゾメナイ(3):アリステアース

ヘルモティモスについての物語を調べているうちに、もうひとりの「神話と歴史の間」にいたと思われる人物のことが気になり始めました。その人はアリステアースといい、クラゾメナイとは関係のない人物ですが、脱線してこの人物についてご紹介したいと思います。


アリステアースもBC 7世紀頃の人と思われています。彼はマルマラ海の島プロコンネーソスの出身でした。ヘーロドトスはプロコンネーソスやその近くのキュージコスでアリステアスの話を聞き出しています。

その話によれば、アリステアスはその町で誰にも劣らぬ家柄の出であったが、プロコンネソスで晒布(さらし)業者の店へ入った時に急死したという。店の主人は仕事場を閉めて死人の縁者に知らせにいった。アリステアスの死んだという噂が、すでに町中に拡がった頃、その噂に異を立てる男が現われた。アルタケの町からきたキュジコスの男で、彼はキュジコスに向っているアリステアスに出会い、言葉まで交したというのである。キュジコスの男は頑強に異を立ててゆずらなかったが、一方故人の縁者たちは遺骸を引き取るため、それに必要な準備を整えて晒布屋の店へいったのである。ところが部屋を開けてみると、死んだも生きたもない、アリステアスの姿はどこにもなかったのであった。それから七年目になってプロコンネソスに姿を現わし、現在ギリシアで「アリマスポイ物語(アリマスペア)」の名で知られている叙事詩を作ったが、この詩を作った後ふたたび姿を消したという。


ヘロドトス著「歴史」巻4、14 から

この「アリマスポイ物語」というのは北の果てにいると信じられていた伝説上の民族で、彼らは目が一つしかないと言います。アリステアスは上述の晒布(さらし)業者の店からアポローン神によってイッセドネス人の国に運ばれていき、7年の間その国で暮らしたのでした。そしてイッセドネス人からアリマスポイ人の国の話を聞き、プロコンネソスに戻ってからそれを叙事詩にしたのだということです。

アリステアスは、その作詩した叙事詩の中で、ポイボス(アポロン)によって神懸りとなり、イッセドネスの国にいったこと、イッセドネス人の向うには一つ眼のアリマスポイ人が住み、その向うには黄金を守る怪鳥グリュプスの群、さらにその向うにはヒュペルボレオイ人が住んで海に至っている、と語っている。


ヘロドトス著「歴史」巻4、13 から

この「アリマスポイ物語」についてもっと内容を知りたいと思いましたが、わずかな断片しか残っていないそうです。ヘーロドトスの記述から分かるのは、アリスマポイ人が登場することと、黄金を守るグリュプス(グリフォン、グリフィン)のことが語られていることです。

(上:グリュプスとスキュタイ人らしき人物)


また、次のような諸民族の玉突き移動の話も語られたということです。

イッセドネス人はアリマスポイ人によって国を追われ、スキュタイ人はイッセドネス人に追われ、さらに南方の海に近く住んでいたキンメリア人は、スキュタイ人の圧迫をうけてその地を離れたという。


同上

キンメリア人がスキュタイ人に追われて小アジアに侵入し、小アジアの諸国やギリシア人の都市を襲ったのは歴史上の事実です。しかし、スキュタイ人がイッセドネス人に追われたとか、イッセドネス人がアリマスポイ人に追われた、という話はおそらく事実ではないでしょう。


さて、この「アリマスポイ物語」の作者アリステアースはこの叙事詩を作ったのちに再び姿を消したのですが、240年後に今度はイタリアのメタポンティオン(現在のタラントの近く)に姿を現わしたといいます。

メタポンティオン人のいうところでは、アリステアスその人がその国に姿を現わし、
アポロンの祭壇を設け、その傍らに「プロコンネソスのアリステアス」の名を附けた像を据えよ、と命じたという。その理由は、かつてアポロンが訪れたのは、イタリアではこの国だけであり、現在アリステアスなる自分がアポロン随行したからで、ただしアポロン随行した時には、自分は烏の姿であった、といったという。
 アリステアスはこういうと姿を消した・・・・。


ヘロドトス著「歴史」巻4、15 から

クラゾメナイのヘルモティモスの話とこのアリステアスの話は、それほど似ているという訳ではありません。しかし、私のなかでは、この2つの物語が何か関連しているような予感がしています。