神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

レームノス島(ミュリーナとヘーパイスティア)(1):ヘーパイストス


レームノス島はエーゲ海の東の北側に浮かぶ島です。今は休火山になっていますが、ギリシア古典期には活火山の島でした。そのため、レームノス島は、ギリシア神話における火と鍛冶の神であるヘーパイストスと関連づけられています。一説には、この火山モスコロスこそヘーパイストスの仕事場(のひとつ)であるということです。レームノス島にはギリシア古典期にヘーパスティアとミュリーナの2つの町がありました。ヘーパスティアはヘーパイストスにちなんで名づけられたものでしょう。ミュリーナの方は、神話におけるレームノスの王であるトアースの妻ミュリーネーにちなんで名づけられた、ということです。

(上:左がヘーパイストス、右が海の女神たちの一人テティステティスは英雄アキレウスの母親。ヘーパイストスアキレウスのために作った大楯を、テティスに手渡すところ。「イーリアス 第18書」の場面。)


レームノス島にはヘーパスティアとミュリーナの2つの町があったのですが、ギリシアの神話・伝説では両者の区別がはっきりせず、単に「レームノス島」と呼ばれています。そのため、今回はタイトルを変則的ですが「レームノス島(ミュリーナとヘーパスティア)」としました。


ホメーロスの「イーリアス」によれば、レームノス島に太古に住んでいたのは(今のブルガリアが本拠地の)トラーキア系のシンティエス人という部族だったということです。その部族の名前は、イーリアスの中でゼウスとその妃ヘーラー(「イーリアス」では「ヘーレー」と呼ばれています)が夫婦喧嘩を始めたところ、その子供(とはいえ、ヘーパイストスはゼウスの子ではない、という説もあります)のヘーパイストスがおろおろして母親をなだめる、という場面で、ヘーパイストスの回想の言葉の中に登場します。

「我慢なさいませ、おん母上、よし辛くともまず辛抱が第一のこと、
それこそ大切にお思いしている母上が、どやされるのをこの眼の前に
見るようなことのありませぬよう、そしたら如何(どんな)に気を揉もうとてお助けも
叶いませぬゆえ、全くオリュンポスの御主は対抗(はむか)うことも難しいかた。
それ、いつぞやも私がしきりに 加勢をしようといたしましたら、
足をひっ掴(とら)えて、神さびた(宮の)門口から抛(ほう)り出しました。
それで私は一日中空をわたっていって、日の沈むのと同じ頃おい、
レムノス島に落っこちまして、ほとほと息も絶えだえなのを、その処で
シンティエス人らが 落ちるなり直ぐ引き取って(世話して)くれた次第でした。」


ホメーロスイーリアス」第1書 から

「全くオリュンポスの御主は対抗(はむか)うことも難しいかた」と言っているのは、神々の王ゼウスのことを指しています。かつてヘーパイストスが自分の母親ヘーラーの味方をしたところ、ゼウスはペーパイストスの足をつかんで、天上にあるゼウスの館から放り投げてしまったのでした。そして力いっぱい投げられたヘーパイストスは昼の間ずっと空中を飛んでいき、日が沈む頃にレームノス島に落っこちた、と彼は語ります。落っこちて「ほとほと息も絶えだえな」様子のヘーパイストスを、そこに住んでいたシンティエス人が(きっとおっかなびっくりで、でしょうが)介抱したのでした。ヘーパイストスはこのレームノス島で、鍛冶屋としての技を磨いて、さまざまな工芸品を作るようになったのでした。その中には現代のAIロボットを思わせるようなもの、それは鼎(かなえ)なのですが、もあります。

その一々の台の下には 黄金づくりの車輪がついて、
人手を借りずに 神々の集りの座に、おのずと入ってゆき、
また館へと帰ってくる仕掛につくられ、目を駭(おどろ)かす
物であった・・・・


ホメーロスイーリアス」第18書 から

このような記述を念頭におくと、ヘーパイストスを単に鍛冶屋の神と把握するよりも、現代のIT企業の守護神と考えたほうがよさそうです。


さて、このようにレームノス島はヘーパイストスとの関連で神話にその姿を現します。ヘーパイストスが大空から落下した地点は、ペーパイスティアだったかもしれません。