神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモス(3):ジブラルタル海峡を越えて

 この頃サモスに、エジプトとの交易で財を成したコライオスという船主がいました。その人がいつものようにサモスからエジプトに航海している時に、船が東風に流されてリビア沿岸の近くにあるプラテア島という島に漂着しました。そこは、ほぼ無人島で、クレータ島出身のギリシア人がひとりだけ住んでいました。彼はコロビオスという名で、テーラ人に請われてテーラ人リビアへの植民の手伝いをしていて、この島に残留していたのでした。しかし、約束の期限になってもテーラ人たちが帰ってこないので、食糧がつきて困っていたのでした。

サモス人たちはコロビオスから一部始終をきくと、一年分の食糧を残してやった。当のサモス人はこの島を発ち東風に流されながらもエジプトを目指して航行を続けた。しかし風は弱まらず、彼らは「ヘラクレスの柱」を越え、神の導きによってタルテッソスに着いた。ここは当時はまだ通商地として未開拓であったので、彼らが帰国したときは、積荷によって挙げた収益が、われわれが確実な資料に基いて知る限りにおいて、かつていかなるギリシア人も挙げたことのない莫大な額に上った。 


ヘロドトス著「歴史」巻4、152 から

 一年分の食糧を他人に贈ることが出来るというのはいったいどれだけ大きな船なのでしょうか? それに食糧というのは具体的には何だったのでしょうか? 本当に「一年分」だったのでしょうか? いろいろ疑問に思う点はありますが、昔話程度に受け止めておいたほうがよいかもしれません。その後、テーラ人たちはこの島に戻ってきたのでクレータ人コロビオスも役目から解放されました。この話は「テーラ(6):キューレーネー植民の裏側」に紹介しました。また、コライオスのこの行為が契機となって、キューレーネー人、テーラ人とサモス人との間に堅い友好関係が結ばれることになったということです。


 さてコライオス率いるサモス人たちの船は、その後も風のため西へ西へと流されていき、とうとう「ヘラクレスの柱」まで来てしまいました。これは今のジブラルタル海峡のことです。そして、そこを抜けて大西洋側に出て、タルテッソスにたどり着いたのです。これは今のスペインのカディスあたりだということです。

タルテッソスは、現在のスペイン南部アンダルシア地方のグアダルキビール川河口近くに存在したとされる古代王国である。(中略)


タルテッソスは金属の豊かな王国であった。 紀元前4世紀の歴史家のエフォラスは「タルテッソスと呼ばれる非常に繁栄した市場があり、川を下ってケルトの土地から運ばれてくる錫、そして金、銅で溢れている」と記す。青銅器時代には錫の貿易は極めて有利であった。なぜなら、錫は青銅に欠かせない成分であり、比較的まれであったからである。ヘロドトスによれば、タルテッソスの王をアルガントニオスという。銀によって富裕なことから来た呼び名と見られる(印欧祖語:*arģ-「銀」)。


日本語版ウィキペディアの「タルテッソス」の項より

 コライオスたちは、偶然たどり着いたタルテッソスとの交易で莫大な儲けを得たということです。では、ギリシア人で今までタルテッソスにたどり着いた者がいなかったのかというと、ヘロドトスはそれを否定する別の話を伝えています。ギリシア人で最初にタルテッソスにたどりついたのはポーカイア人だったというのです。

このポカイア人ギリシア人の中では遠洋航海の先駆者であり、アドリア海、テュルセニア、イベリア、タルテッソスなどを発見したのもこのポカイア人である。彼らは航海には丸形の船を用いず、五十橈船を用いた。ところで彼らはタルテッソスへ行ってから、その地の王アルガントニオスのお気に入りになった。この王はタルテッソスに君臨すること八十年、まる百二十歳の高齢に達した人である。
 さてポカイア人はこの人に大層気に入られ、はじめ王は彼らにイオニアを離れ、この国のどこなりと好きな処に住むようにすすめたほどであった・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻1、163 から

 それならば、「遠洋航海の先駆者」であるポーカイア人がタルテッソスとの交易で利益を独占してもよさそうですが、そうはならなかったようです。それはともかく、コライオスたちは大きな収益を挙げたので、その一割を使ってサモスの女神ヘーラーの神殿に捧げ物をしました。

 サモス人は収益の一割に当る六タラントンでアルゴリスの混酒器の様式を模した青銅の甕を造らせた。その縁の周りには怪鳥グリュプスの首が並んで突き出している甕である。これをヘラの社に奉納し、その台座としてひざまずいた姿態の、高さ七ペキュスもある三個の巨大な銅像を据えた。


ヘロドトス著「歴史」巻4、152 から



「怪鳥グリュプス」というのは英語ではグリフィンと呼ばれる伝説上の鳥です。ギリシア人の考えるグリュプスはこんな感じでしょうか?


また「高さ七ペキュスもある三個の巨大な銅像」とありますが、1ペーキュスは47.4cmだそうですので、そうすると7ペーキュスは3m以上になります。これらの宝物を捧げたヘーラー神殿は、「サモス(1):サモス植民」でご紹介したようにサモスの中心的な神殿でした。