神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エペソス(2):アルテミス神殿

 エペソスはかつて、別名アルテミシオンとも呼ばれるアルテミス神殿で有名でした。時代がかなり下りますが、BC 2世紀に選ばれた世界の7つの驚異(「世界の7不思議」というのは誤訳だそうです)の中にエペソスのアルテミス神殿がありました。ちなみに世界の7つの驚異とは以下のものです。

 紀元前2世紀のギリシア人の詩人「シドンのアンティパトロス」は、アルテミス神殿についてこう歌っているそうです(日本語版ウィキペディアの「アルテミス神殿」の項より)。

私は戦車が通りうるほど広いバビロンの城壁を見、アルペイオス河畔のゼウス像を見た。空中庭園も、ヘリオスの巨像も、多くの人々の労働の結集たる大ピラミッドも、はたまたマウソロスの巨大な霊廟も見た。しかし、アルテミスの宮がはるか雲を突いてそびえているのを見たとき、その他の驚きはすっかり霞んでしまった。私は言った、「見よ、オリンポスを別にすれば、かつて太陽はこれほどのものを見たことはなかった」

 ただし、この頃のアルテミス神殿は再建されたもので、かつてアンドロクロスたちがエペソスを建設した(それとも別の民族のものであった町を占領したと言ったほうがより正確でしょうか?)時にすでにあった神殿ではありません。それでも、その頃、神殿があったのは確かなようです。

 エペソスの神聖な場所(テメノス)は、アルテミシオン自体よりもはるかに古いものであった。パウサニアース*1は、それがイオーニアの移民にはるかに先行しており、ディデュマのアポローンの神託神殿*2さえよりも古いことを確信していた。彼は、この都市のイオーニア人以前の住民は、レレゲス人とリュディア人であったと述べた。カリマコス*3は、自分のアルテミス讃歌の中で、エペソスの最初の聖域をアマゾーン族によるものとし、アマゾーン族の崇拝がすでにアルテミスの像に集中していたと彼は想像した。パウサニアースは、神殿を創建したアマゾーン族がアテーナイの包囲に関わっていたとピンダロス*4が信じていたと言っている。タキトゥス*5もアマゾーン族による創建を信じていたが、パウサニアースはその神殿がアマゾーン族に先行していたと信じていた。


 現代の考古学はカリマコスのアマゾーン族を確認することは出来ないが、遺跡の古さについてのパウサニアースの説明は十分に確かめられたようである。 第一次世界大戦以前に、デヴィッド・ジョージ・ホガースによる遺跡発掘は、次々に建て替えられた3つの神殿の建物を特定した。1987-88年の再発掘調査では、早期青銅器時代に敷地が占有されていたことが確認され、中期幾何学時代まで続く一連の陶器が発見された。その中期幾何学時代であるBC 8世紀後半に粘土を固めた床を持つ周柱式の神殿が建てられた。エペソスの周柱式の神殿は、小アジア海岸にある周柱式の最初の例であり、おそらく柱列で囲まれた最初のギリシア神殿であろう。


英語版Wikipediaの「アルテミス神殿」より

 現代の考古学は、イオーニア人のエペソス到着以前に何らかの聖域がここに存在していたことを明らかにしていますが、もちろん「アマゾーン族を確認することは出来」ません。「アマゾーン」と聞くと今ではネット販売のアマゾンのことかと思ってしまうかもしれません。それを抜きにしても、あるいはアマゾン河のことかと思うかもしれません。アマゾーンの元々の意味はギリシア神話に登場する、女性だけの戦士たちのことです。彼女たちは、ギリシアから見て東のはてに住んでいると想像されていました。もう少し具体的にいうと今のトルコ東部ブルガリアウクライナ黒海沿岸のあたりに住んでいると想像されていました。もとよりこれは想像上の民族であって実在してはいませんでした。


 伝説は、アマゾーン族がアルテミス神殿を創建したと言っています。私は、ここから何か読み取れることはないか、と考えてみました。男性だけが市民であって、市民が同時に町を守る戦士でもある、という当時のギリシアの社会の通念からすると、アマゾーン族というのは、おそらく、自分たちと対極にある存在だと思います。アマゾーン族の居住地が当時の世界の果てと思われるところに想定されているのもその表れだと思います。そのようなアマゾーン族によってエペソスのアルテミス神殿が創建された、ということはアルテミス神殿そのものがギリシアとは異質なものである、という意識があったのではないか、と思います。


 そのことで思い当たることがあるのですが、それは、エペソスのアルテミスが、ギリシア神話で普通に語られるアルテミスと性格が異なる、ということです。ギリシア神話で普通に語られるアルテミスは、うら若い乙女で、かつ、弓矢を持ち、森で獣を狩る活動的な面を持ちます。彫刻で表されると下のような姿です。



ところがエペソスのアルテミス神殿に鎮座していたアルテミスの神像は、右の画像のように、多くの乳房を持つ不気味な姿をしています。これは母としての姿を強調していると考えられます。これについて、呉茂一氏の「ギリシア神話」では、以下のように説明しています。

彼女の非ギリシア的な性格は、処女神といわれながら、同時に安産の守護神、産褥の守り神として現われるところにも見られる。つまり野獣を狩るとともに撫育する女神には、獣の子とひとしく、「青年を養育する(クーロトロポス)」女神、「小児を養育する(パイドトロポス)」女神として、人間の児をも護り育てる性格がそなえられているものと思考され、このようにして彼女はギリシアの多くの地方に、種々の称号の下に、分娩の、安産の、あるいは妊産婦の守護神として崇められているが、その中でも「エイレイテュイア」の称号は、ヘーラー女神と同じ呼び名で、注目に値する。


 小アジアにおける女神崇拝の中心として、はやくからアルテミスの大社殿を有して名高いエペソスの神像も、このようにして理解されよう。この女神像は胸に数多くの乳房を有し、豊満な母性神としてもっぱら生育と繁殖を司り、その数多くの奉仕者には、神婢ヒエドゥーロイや宦者を交えるなど、明らかに本土のアルテミスとは異なる小アジア固有系に属するのを、若干の類似点やある種の基本的な共通性から、ギリシアからの移住民によってアルテミスと同一視されるようになったものである。


呉茂一著「ギリシア神話(上)」より

この謎の多い女神について、もっと調べてみるとおもしろいかもしれません。

*1:AD 2世紀のギリシアの旅行家で地理学者。「ギリシア案内記」の著者

*2:ミーレートス(11):ディデュマ参照

*3:BC 3世紀のギリシアの詩人、批評家

*4:BC 6~5世紀のギリシアの詩人。

*5:AD 1~2世紀のローマ帝国の政治家、歴史家