神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(13):ラブダ

BC 657年、レーラントス戦争が終わった頃に、コリントスのポレマルコス(軍事指導者)の地位にあったキュプセロスは、バッキアダイを追放し、コリントスの僭主になりました。キュプセロスの母親ラブダは、バッキアダイの一員であったアンピーオーンの娘でした。つまり母方はバッキアダイだったわけです。しかし、父親エーエティオーンは、バッキアダイに属していませんでした。婚姻は同族間で行われることになっていたバッキアダイで、なぜ例外的にラブダが別の氏族の者と結婚したかについては、生まれつきラブダの脚が曲っていたため、バッキアダイの男たちがそれを嫌って結婚しなかったのだ、というひどい伝説があります。ヘーロドトスは自著「歴史」の中でキュプセロスの誕生にまつわる伝説を、BC 500年頃のあるコリントス人に語らせていますが、このコリントス人が反僭主の立場だったために、キュプセロスの誕生を禍々しい出来事として語っています。しかし、この話はキュプセロスの母親ラブダの立場から見れば、生まれたばかりのわが子をどのようにして守り抜くか、という話になります。以下、その話をご紹介します。


バッキアダイに下されたデルポイの神託で、彼らがその意味が分からずにいたものがあり、それはこういう神託でした。

岩上に鷲は孕(みごも)り、獰猛の獅子を産み、
この四肢はあまたのものの膝をうちひしごうぞ。
コリントス人よ、よくよくこれを心に留めおけ、
美わしき泉ペイレネのほとり、山高きコリントスに住むものどもよ。


ヘロドトス著「歴史」巻5、92 から

「獰猛な獅子」が生れ、それがコリントスの多くの人々の「膝をうちひし」ぐことになるだろうという意味ですが、「獰猛な獅子」が誰を指すのか分かりませんでした。そんな時に、ラブダの夫エーエティオーンが得た神託がどういうわけかバッキアダイの知るところになりました。エーエティオーンは、自分たちに子供が生れない理由を尋ねるためにデルポイに行ったのでした。その神託は

エエティオンよ、いと崇めらるべき身にてありながら、汝を崇むるものはあるまいぞ。
ラブダは孕(みごも)りておる。やがて円(まろ)き岩を産み、
その岩は統ぶるものらの頭上に落ちて、コリントスを懲らしめようぞ。


同上

というものでした。この神託は、ラブダがすでに妊娠していて、その生れてくる子供がコリントスを「統ぶるものら」つまりバッキアダイを懲らしめる、という意味なので、前の神託にあった「獰猛な獅子」とはラブダから生れてくる子供だと分かったのです。そこでバッキアダイの一族は、ラブダが子を産むの待って、その子を殺してしまおうと考えました。やがてラブダが男の子を生むと、彼らは一門のうちから10人をラブダの家に送り、生まれた子供を殺させようとしました。10名の者たちはラブダの家を訪ねて、赤子を見せてほしいと頼みました。彼らは夫のエーエティオーンのいない時を見計らっていったようです。

一行がどういう目当てできたのか露知らぬラブダは、自分の父親(バッキアダイに属するアンピーオーン)に対する誼(よし)みから子供を見にきてくれたものと思い、赤子を抱いてきて一行の内の一人に手渡した。さて一行の間では道々打合せがしてあって、最初に赤子を手にしたものが地面に叩きつけて殺す手筈になっておったが、ラブダが赤子を抱いてきて手渡したとき、不可思議な偶然というか、受け取った男に向ってその赤子がニッコリと笑いかけた。その男はこれをみて、なんとなく憐れを催し殺す気になれず、赤子を別の男に手渡してしまい、その男がまた別の男へというふうにして、赤子は十人の男全部の手を順々に廻ったが、誰一人として赤子を殺す気になれなかった。結局刺客たちは赤子を母親の手に返して外へ出たが、門口のところで互いに責任のなすり合いをはじめた。中でも最初に赤子を受け取った男が、打合せどおりにしなかったというので一番責められたが、結局のところしばらくの間論議をした末、もう一度中へ入って、今度は皆が手を貸して赤子を殺そうということになった。


同上


しかし彼らが話していることをラブダはその門口のすぐうしろで聞いていました。

そこでラブダは、一行の気が変り再び赤子を捕えて殺すことを恐れたので、ここならば一番人に気付かれまいと、赤子を櫃(ひつ)の中へ隠した。一行が子供を探しに引き返してきたならば、隈なく家探しすることは必定と考えたからだ。そのラブダの考えたとおり、刺客たちは家に入って子供を探したが見付からぬので、引き上げることにし、彼らはこの仕事を言い付けたものには、命令どおり果したと復命しようということになった。そして帰るとそのとおりに報告したのだ。


同上

このようにしてラブダの息子は難を逃れたのでした。