神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(5):シーシュポス(2)

さて、河神アーソーポスはその後どうしたかといいますと、やがてゼウスに追いつきました。するとゼウスは無礼者と一喝して得意の武器である稲妻をアーソーポスに投げつけました。雷を浴びてアーソーポスは身体の一部が炭化してしまいました。それでアーソーポス川の河床には石炭があるのだといいます。アーソーポスは娘を諦めざるを得ませんでした。一方ゼウスはアイギーナをオイノーネー島に連れて行きました。アイギーナはこの島でゼウスの息子アイアコスを生みました。アイアコスの子孫には、トロイア戦争で活躍するアキレウスやアイアースがいます。また、この島はアイギーナにちなんでアイギーナという名前に変わりました。


これだけのことでシーシュポスが永遠の罰を受けるのはひどいと誰かが考えて作ったのか、以下のような話もあります。アーソーポスにゼウスのことを告げたことを怒って、ゼウスはシーシュポスに死神を送りました。しかしシーシュポスは死神をだまして鎖で縛ってしまいました。すると世の中では誰も死ななくなってしまいました。これはいけないということで、ゼウスはヘーパイストス神を送って死神を助けました。そこで死神はやっとシーシュポスを冥界に連れていくことが出来ました。しかし、予めシーシュポスは妻に自分の葬式を行なわないように言いつけてありました。さてシーシュポスが冥界の王ハーデース(日本で言えば閻魔様みたいなものでしょう)の前に出た時に、シーシュポスは葬式を行なっていないので、死者としての定めの姿をしていませんでした。(古代ギリシアでは死者がどんな格好をしているか私は知りませんが)。そこでハーデースはなぜお前はそんな恰好をしているのだ、と尋ねました。シーシュポスは、妻が葬式をしてくれないからだと答え、妻を罰するために一度地上に戻りたいと頼みました。ハーデースはもっともなことであると考えてそれを許しました。シーシュポスは生き返ると、もう冥界に戻ろうとはせず、長く生き延びました。しかしとうとう寿命が尽きた時、ハーデースは前のことを覚えていて、シーシュポスにこの罰を与えた、と言います。


シーシュポスには、こんな話もあります。ヘルメース神の息子でアウトリュコスという盗人がいました。ヘルメース神は神々の伝令であり口達者な神であり泥棒の守り神でもありました。その神の子なのでアウトリュコスには牛の色や姿を自由に変える力を持っていました。このアウトリュコスがたびたびシーシュポスの飼っている牛を盗んで、自分の牛群れの中に交ぜていました。シーシュポスはアウトリュコスがどうも怪しいと気づいたのですが、アウトリュコスの飼う牛群れの中には、自分の牛が見つかりません。証拠がないので、アウトリュコスを責めることが出来ませんでした。そこでシーシュポスは自分の牛の蹄に「アウトリュコスこれを盗む」と刻した鉛の板を貼っておきました。そしてしばらくするとやはり牛がいなくなっていたので、アウトリュコスのところへ行き、アウトリュコスの牛たちの蹄を見せてもらいました。そして「アウトリュコスこれを盗む」と書かれた牛の蹄をアウトリュコスに証拠として見せました。これにはアウトリュコスも言い逃れ出来ません。さて、このあと二人はどうなったかといいますと、互いの抜け目なさを讃えて友人となったといいます。


別の話ですが、シーシュポスの兄のアタマースはコリントスより北のオルコメノスを支配していました。彼はゼウスの后であるヘーラー女神によって狂わされ、妻のイーノーと息子のメリケルテースを殺そうとしました。その詳しい経緯は「テオース(2):アタマース」を参照下さい。イーノーはメリケルテースを抱きかかえて海に飛び込みました。すると一頭のイルカが。幼いメリケルテースの遺骸をコリントスの海岸まで運んでいきました。シーシュポスがこの遺骸を発見して埋葬し、メリケルテースの記念にイストミア大祭を創立したといいます。イストミアというのは「地峡の」という意味です。イストミア大祭は2年に一度開催され、運動競技も催されました。イストミア大祭は古代ギリシアの四つの大祭の1つで、ほかの3つは、オリュンピア大祭、ネメア大祭、ピューティア大祭でした。オリュンピア大祭はもちろん、古代オリンピックのことです。以上が、古代のコリントス人が語るイストミア大祭の由来ですが、アテーナイ人はこの由来を認めず、アテーナイの英雄テーセウスがポセイドーン神のために創立したとしていました。

(上:イストミア競技会の主催者としてのポセイドーン神)


ホメーロスの「イーリアス」の記述を用いて、シーシュポスの子孫をたどって行きます。

馬を飼うアルゴスの郷も奥まるところに、エピュレー(=コリントスのこと)という都がある。
その処にシーシュポスとて、人間のうちにもわけて慧(さか)しい者があった、
アイオロスの子シーシュポスである、その設けた息子がグラウコス、
そのグラウコスが今度は 人品すぐれたベレロポンテースを生んだ。


ホメーロス 「イーリアス 第6書」 呉茂一訳 より

グラウコスには、自分の飼っていた牝馬に食べられた、という変な伝説があります。その理由として挙げられるのは、もともとこの馬を人肉で養っていた、とか、馬が変な草を食べて狂ってしまった、などです。このグラウコスの息子のベレロポンテースには、(グラウコスとは違って)英雄にふさわしい伝説があります。