神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

メガラ(16):テオグニス(2)

私にとってはテオグニスの詩は当時のメガラの政情が垣間見えるというところに興味があります。次の詩は、BC 545年にイオーニア地方のギリシア諸都市がペルシアによって占領された事件に関係しているように読めます。

私についてお前に助言を与え、お前に私たちの友情を
放棄して立ち去るように命じた者は誰であろうと―
誇りはマグネシア人とコロポーンスミュルナを破壊した。
そして確かに、キュルノスよ、お前とお前のものを破壊するだろう。


テオグニス 1101~1104行 英訳からの拙訳



(右)スミュルナの遺跡


マグネシアとコロポーンスミュルナはみなイオーニア地方のギリシア人都市です。ここに登場する「誇り」は、英文では「pride」となっているのですが、私にはこの意味がよく分かりませんでした。「pride」については以下の詩で「evil pride」として登場しています。

キュルノスよ、この町は苦境に陥っており、我らの邪悪な誇りを修正する者をこの町が産むのではないかと心配している。これらの市民はまだ用心深いが、彼らの指導者は多くの損害に向かっている。


テオグニス 39~42行 英訳からの拙訳

あれこれ考えた末、この「pride」はギリシア語のヒュブリス(驕り、高ぶり)のことではないか、と思いつきました。私はギリシア語が読めないのでこの推定は当てずっぽうです。さて、ヒュブリスというのはギリシア悲劇における重要な概念です。日本語のウィキペディアの「ヒュブリス」の項には「ヒュブリスとは、神話に由来した言葉であり、神に対する侮辱や無礼な行為などへと導く極度の自尊心や自信を意味する。通常は後で厳しく罰せられる。」とあります。こう考えると、コロポーンやスミュルナがペルシア軍に蹂躙されたことを、テオグニスはヒュブリス(驕り)への神罰であると考えていたように思えます。そのヒュブリス(驕り)というのは、テオグニスがまともと考える階級ではなく、成り上がり者たちが政権を握り、国政を運営したことを指しているように思えます。


最後にテオグニスの詩として最も有名なものを紹介します。しかしこれはテオグニスの思想を反映したものというより、それ以前からあった格言を収録したもののように思えます。

地上の者どもにとって何よりも善いのは、生まれて来ないこと
鋭い太陽の光をおがむこともなく。
生まれてしまったらなるべく早くハーデース(冥界)の門をくぐること
そして多くの土で塚を築き横たわること。


(テオグニス 425~428行)
「テオグニスとニーチェ」 小野寺郷著 より

人間にとって最善のことは生まれてこないことであり、次善のことはすぐに死ぬことだ、という謎めいた、救いのない格言です。これに似た表現は悲劇作家ソポクレースの悲劇「コロノスのオイディプス」にも登場します。

この世に生を享けないのが、
すべてにまして、いちばんよいこと、
生まれたからには、来たところ、
そこへ速かに赴くのが、次にいちばんよいことだ、
青春が軽薄な愚行とともに過ぎ去れば、
どんな苦の鞭をまぬかれようぞ。
どんな苦悩が襲わないでいようぞ。


ソポクレース 「コロノスのオイディプス」 高津春繁訳

ここにどんな知恵があるというのでしょうか。私には分かりません。テオグニスがこの思想に殉じてさっさと死んでしまった、という話を私は聞きませんし、悲劇作家ソポクレースについていうならば、彼が90歳という当時としては信じられないような長寿をまっとうしたということを知っています。ただ、古代ギリシアにはこういう考え方がほかにも見受けられます。そのひとつがクレオビスとビトンの兄弟の物語で、母親がヘーラー女神に「自分の名誉を揚げてくれた息子のクレオビスとビトンに、人間として得られる最善のものを与え給え」と願ったところ、女神は兄弟に死を与えたという話です。

神様はこの実例をもって、人間にとっては生よりもむしろ死が願わしいものであることをはっきりとお示しになったのでございました。


ヘロドトス著「歴史」巻1、30 から

これについては、「サモス(5):女神ヘーラーをめぐって」で書き、そこで私は、この考えの背後に輪廻転生の考えがあったのではないか、と述べました。