神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

カリュストス(10):その後のカリュストス

マケドニア王ピリッポス2世は、BC 338年カイローネイアの戦いでアテーナイ・テーバイ連合軍を破り、スパルタを除くギリシア本土全体の覇権を握りました。これによってカリュストスもマケドニア支配下に入ることになりました。


このピリッポス2世はある戦いで右目に矢が刺さって失明したのですが、その矢を抜いて治療したと伝えられるカリュストス出身の医者がいました。彼の名はディオクレースといい、有名な医者ヒポクラテースの学派に属していました。コース島のヒポクラテースはペロポネーソス戦争の時代に活躍した医者なので、ディオクレースはそれより2、3世代あとの人物になります。マケドニア王ピリッポス2世の目から矢を抜き出した手術道具は「ディオクレースのスプーン」と呼ばれました。これは身体に刺さった矢じりなどを取り除くための手術道具だということですが、それがどんなものであったのか現代では分からなくなっているということです。「ディオクレースのスプーン」について述べているのは後代に書かれたあるひとつの書物だけだそうで、このことから「ディオクレースのスプーン」の実在性を疑う学者もいるそうです。


このディオクレースの生涯については、彼がアテーナイに住み、そこで医療に従事していたこと、そして世間からはヒポクラテースの後継者と見なされ、有名であったこと、以外はほとんど分かっていません。彼は多くの医学書を書いたのですが、それも現代では、他の著作家に引用された題名と若干の断片だけが残るだけだということです。


さて、ディオクレースは、健康というものは宇宙と関係がある、と主張しました。そして医者は宇宙が人間に及ぼす影響を知らなければならない、とも言います。これだけだとかなり非科学的に聞こえますが、「宇宙」という言葉が指しているのが何かがよく分からないので、一概に非科学的と決めつけず、「宇宙」という言葉を「環境」とか「季節」「気候」などに置き換えて理解したほうがよいかもしれません。あるいは太陽や月、惑星のことを指しているのだとしたら、占星術に近い理論を持っていた可能性もあり、それはそれで興味深いと思います。また、彼は食事療法についても書いていて、これが彼の医学活動の主要な柱だったようです。彼はまた動物の解剖学に関する最初の体系的な教科書も書いています。

(上:カリュストス出土のBC 4世紀のレリーフ。酒の神ディオニューソスと、冥界の神ハーデース。)


ディオクレースの活躍した時期はマケドニア王ピリッポス2世、その息子で歴史上名高いアレクサンドロス大王、そしてその後継者たちの時代になります。この時代からカリュストスはマケドニア王国領となります。次の世紀であるBC 3世紀にはカリュストスには著作家アンティゴノスや喜劇作家アポロドーロスが現れますが、彼らについての情報は少ないようです。やがてマケドニア王国はローマ(当時は共和国)に敗れカリュストスはローマの支配下におかれますが、ローマ支配下の時代にはカリュストスは大理石の産地として有名でした。いわゆるローマの平和(パクス・ロマーナ)が実現されていた頃、カリュストスがどんな様子だったかを想像するのは私には楽しいことです。やはり港町として栄えていたのではないかと思います。その後、途中断絶があったかもしれませんが、カリュストスは現在でも町として存在しています。私のカリュストスについての話は以上で終わりです。読んで下さりありがとうございます。

(上:現代のカリュストス)