神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アブデーラ(4):クセルクセース王の接待


ダーレイオス王の次のクセルクセース王の時、BC 480年にペルシアはギリシア本土を攻めるために海陸の大軍を組織し、王自らが軍を率いてギリシア本土に向いました。この時、アブデーラはその進路上にありました。そしてこの大軍が通過する際にアブデーラはその食事の用意を命ぜられて大変な苦難を強いられたのでした。

 遠征軍を迎えクセルクセス王の食事の接待に当ったギリシア人の蒙った苦難は悲惨を極めたもので、そのために住み馴れた家屋敷も離れねばならぬほどであった・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻7、118 から


(上:ペルシア王の親衛隊)


それでは、どういう目にあったのかと言いますと、

市民たちはクセルクセスの通過を諸方に触れて廻る役人からそのことを聞き知ると、町にある穀物を皆に分配し、市民は一人残らず幾カ月もかけて小麦と大麦を粉にひく。一方ではまた軍隊受入れのために、できるだけ上等の家畜を高価な代金を払って入手し飼育するとともに、陸棲と水棲とを問わずさまざまの鳥類を檻や池で養ったのである。また金銀製の酒盃や混酒鉢、その他食卓に用いる什器一切をととのえたのである。ただしこれらの什器は王とその陪食者たちだけのために作られたもので、軍隊一般には食糧にあてる物資だけが用意された。軍勢が到着すると、クセルクセスの宿営所にあてる天幕がすでに設けられているのが常で、一般の将兵は露天で野営したのである。食事の時刻になると、もてなす側は天手古舞いをするが、もてなされる方は鱈腹平らげるとその場で一夜を明かし、翌日になると天幕を畳み、持ち運べる什器はことごとく携え、後には一物も残さず綺麗にさらいとって立ち去るのであった。


ヘロドトス著「歴史」巻7、119 から


さて

このような状況の下で、アブデラ人のメガクレオンという男が、実に適切な言葉を吐いた。


ヘロドトス著「歴史」巻7、120 から

のだそうです。

彼はアブデラの市民たちに、男も女も町中総出でもよりの神殿に詣で、今後とも来たるべき災難の半ばを免れさせ給えと神助を乞い、過ぎ去ったばかりの災厄については、クセルクセスが日に食事を二回とる習慣ではなかったことを、神々に深く感謝するようにとすすめたのである。かりにアブデラ人が夕食と同様に朝食の用意まで命ぜられていたならば、彼らとしてはクセルクセスの到来を待つことをせぬか、それとも踏み留まってこの世に例のないほどの悲惨な目に遭うかのいずれかを選ぶほかなかったであろうから、というのである。


同上

この言葉から、アブデーラ市民の苦労を感じ取ることが出来ます。しかし「クセルクセスが日に食事を二回とる習慣ではなかったことを、神々に深く感謝するように」という言葉には疑問を感じます。ペルシア軍将兵は1日に1回しか食事をしなかったのでしょうか? 私は、日に3回食事をするのは割と最近のことで、昔は日に2回が普通だった、というのを聞いたことはあります。しかし古代ペルシアでは食事の回数は日に1回だったのでしょうか? それもこれから戦争をしようとする将兵が、そうだったのでしょうか?。ちょっと信じられません。


さてこのあと、この大軍はアテーナイ沖でギリシア諸国の連合軍に惨敗し、クセルクセースは急いで母国に逃げ帰ります。この時も彼はアブデーラに滞留しています。ただし、もはや大軍はなく、クセルクセースにはわずかな部隊のみが従っていました。

アブデラ人のいうところでは――私にはとうてい信ずることができないが――王はアテナイから敗退して以来、この地へきてようやく安堵しはじめて帯をほどいたという。


ヘロドトス著「歴史」巻8、120 から

アブデーラまで来てクセルクセースが始めて安心したということは、それだけアブデーラの忠誠にクセルクセースは信を置いていた、ということなのでしょう。