神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(1):ミーレートスの起源

ミーレートスは小アジアエーゲ海沿岸にかつてあった古代ギリシア人の町です。ミーレートスのあった、小アジアエーゲ海沿岸中部の地方はかつてイオーニア地方と呼ばれていました。そこにある諸都市のなかでミーレートスはイオーニアの華と呼ばれて、繁栄しておりました。


ミーレートスは、AD 2世紀のギリシア著作家パウサニアースの「ギリシア案内記」によれば、クレータ人のミーレートスという名前の人物にちなんでミーレートスと名付けられたということです。

ミーレートス人自身が自分たちの最初期の歴史について次のように述べています。彼らによると、2世代にわたって、彼らの土地は、先住民であるアナックスとその息子アステリウスの治世の間、アナクトリアと呼ばれていました。しかし、ミーレートスがクレータ人の軍勢と共に上陸したとき、土地と都市の両方の名前をミーレートスに変えました。ミーレートスとその部下はクレータ島から、エウローペーの息子ミーノースから逃げて来ました。この土地の先住民のカーリア人は、クレータ人と一緒になりました。


パウサニアース「ギリシア案内記」7・2・5 より

上の引用にある先住民というのはカーリア人という民族のことです。カーリア人は小アジア西岸に住んでいた民族で、ヒッタイト人に近い民族でした。カーリア人の町であったアナクトリアにクレータ人ミーレートスが軍勢を率いて攻めて来て、この町を占領し、名前をミーレートスに変えたのでした。クレータ島は今ではギリシア共和国の領土の一部ですが、この神話の時代のクレータ島の住民がギリシア人であったかどうかは微妙なところです。というのは、考古学によればクレータ島にはかつてギリシア人でない民族が住んでいて、その民族が高度な文明を築いていたことが分かっているためです。BC 2000年~BC 1400年にかけて栄えたこの文明を考古学ではミノア文明と呼んでいます。このミノア文明という名前は、神話に登場するクレータ島の王ミーノースの名前に由来しています。上の引用文で「エウローペーの息子ミーノース」とあるのがミーノース王です。さて、このミノア文明の担い手がどういう系統の民族であったかについては定説がありません。ある説ではカーリア人に近い民族であるということです。もしそうならば上の引用文の最後にある「この土地の先住民のカーリア人は、クレータ人と一緒になりました。」という文章は理解が容易になります。

(上:クレータ島のミノア文明の遺跡であるクノーソス宮殿)


上の引用文で「ミーレートスとその部下はクレータ島から、エウローペーの息子ミーノースから逃げて来ました。」とある文章についてですが、伝説によればミーレートスは美少年であったためにミーノースに言い寄られてしまい、それがいやで小アジアへ逃げてきたということです。しかもミーレートスはミーノースの娘アカカリスと神アポローンの間の子であったが、アカカリスは子供を産んだことを父親のミーノースに隠していたので、ミーノースはミーレートスが自分の孫とは気づいていなかった、という話もあります。


この出来事よりのちに、トロイア戦争が起こります。ミーレートスはトロイア側で参戦しました。ホメーロスの「イーリアス」にはトロイア側の将兵の一覧の中にミーレートスが登場します。その王はテステースという者でした。

次にまたテステースは、鴃舌(げきぜつ)を使うカリア人らを引率してたが、
この人こそ ミーレートス(市)や、プティーレスの森蔭つづく山なみ、
またマイアンドロスの流れ、さてはミュカレーの険しい城に拠(よ)るものなれ。


ホメーロスイーリアス」巻2より

面白いことに同じ個所にはギリシア側の町としてもミーレートスの名前があり、しかもこちらのミーレートスはクレータ島の町だということです。このことは、上のパウサニアースの記事の中で、ミーレートスがクレータ島からやってきたとしていることと関係していると思われます。ミーレートスという人物が実際にいたかどうかは怪しいところですが、クレータ島の町ミーレートスの住民が小アジアに渡って町を建設し、その母市の名前を付けたということはありそうなことに思えます。

さてクレーテー人らを引具(ひきぐ)したのは槍に名だたるイードメネウス、
この面々はクノーソスや、塁壁(とりで)をめぐらすゴルチュース、またリュクトス
さてはミーレートス、あるいは白亜に富めるリュカストスを保つ者ども、


同上