神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

キオス(10):ヒスティアイオス

ラデーの海戦はイオーニア側の敗北となり、ミーレートスはとうとう陥落します。敗軍を収容したキオスは、やがて来るであろうペルシア軍に対する準備を急ぎました。ところが、この時になって、新たな厄介事がキオスに降りかかります。


ミーレートスの元僭主ヒスティアイオスは、「キオス(8):イオーニアの反乱」に登場した人物で、船橋を破壊から守ってペルシア王ダーレイオスの窮地を救ったのがこの人物でした。このヒスティアイオスがキオスを攻撃してきたのです。いったいなぜでしょうか? ヘーロドトスの「歴史」を読んでもなぜ彼がキオスを攻撃するのか、はっきりしません。それでも、ここに至るまで経過を説明していきたいと思います。


キオス(8):イオーニアの反乱」ではヒスティアイオスがダーレイオス王のお気に入りになり、ペルシア王国の首都スーサに行くことになったところまでお話ししました。その後、ヒスティアイオスはスーサでの生活に飽き、ミーレートスで騒乱が起ればその鎮圧のためにダーレイオス王は自分を派遣してくれるだろう、そうなればミーレートスに帰ることが出来るだろう、と考えるようになりました。そしてミーレートスを現在支配しているアリスタゴラスに使者を送って、ペルシアに対して反乱することを勧めたのでした。なお、アリスタゴラスはヒスティアイオスの娘婿でした。元々アリスタゴラスも反乱を決意していたので、ヒスティアイオスの勧めによってその決意をより強くしたのでした。


さて、ヒスティアイオスの読みは当り、ミーレートスが反乱を起こすとダーレイオスはヒスティアイオスをミーレートスに派遣します。ところが途中に寄ったサルディスで、ペルシアの小アジア総督アルタプレネスに、ヒスティアイオスは自分の意図を見破られてしまいます。ヒスティアイオスは逃走してキオスに渡りました。

ヒスティアイオスはアルタプレネスが事の真相に通じているものと恐れをなし、その日が暮れると匆々に海岸へ向って逃亡した。こうして彼はダレイオス王をまんまと出し抜いたわけで、世界最大の島サルディニアを征服しておめにかけると王に約束したものの、実はイオニアの対ダレイオス戦争の牛耳をとるのが彼の狙いだったのである。
 キオス島に渡ったところを、島人によって捕縛されたが、これはヒスティアイオスがダレイオスの差金で、キオス人に陰謀を企てているという嫌疑をかけられたからであったが、キオス人も事の仔細をきき、ヒスティアイオスが大王に敵対している者であることを知ると、彼を釈放した。


ヘロドトス著「歴史」巻6、2 から

このあとヒスティアイオスはキオスからサルディスの何人かのペルシア人に手紙を送り、反乱への参加を呼びかけました。しかしこの手紙が総督アルタプレネスの手に渡り、ヒスティアイオスのペルシア人協力者たちは処刑されてしまい、彼の計画は失敗します。ヒスティアイオスは今度はミーレートスに渡ろうとしました。まだ、ミーレートスにペルシア艦隊が迫る前のことでした。この時すでにアリスタゴラスはミーレートスから逃亡していました。

キオス人は野望をくじかれたヒスティアイオスを、彼自身の希望に従ってミレトスへ帰国させようとした。しかしミレトス人アリスタゴラスの専制からようやく解放されてホッとしている時で、いったん自由の味を知ったからには、再び別の独裁者を国に迎えようとする気持は毛頭なかった。それでヒスティアイオスが夜陰に乗じて、ミレトスへ復帰を強行しようとしたとき、彼はミレトス人のある者の手にかかって腿に傷を負ったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻6、5 から

その後、彼はレスボス島のミュティレーネーに渡り、ミュティレーネー人に船を提供させました。それを使っていったい何をするかというと、ヘレースポントス海峡で海賊をするのでした。

彼らは八隻の三段橈船を艤装してヒスティアイオスとともにビュザンティオンに航行し、ここに根拠を定めて、黒海から出てくる船を片端から捕獲したのである。ただしそれらの内ヒスティアイオスに服従する意志を明らかにしたものだけは捕獲を免れた。


ヘロドトス著「歴史」巻6、5 から

ヒスティアイオスは本当にペルシアと戦う気があったのか、よく分かりません。彼はギリシア人とばかり戦うのです。おそらく自分の勢力を大きくすることしか考えていなかったのでしょう。


このあと、ラデーの海戦が起りました。そしてその結果ミーレートスが陥落したのでした。そのことを知ったヒスティアイオスは、今度こそペルシア海軍を相手に戦うのかと思いきや、あろうことかラデーの海戦で痛手を蒙ったキオスを攻撃し始めたのです。

ビュザンティオンの海域で黒海から出航してくるイオニアの船舶を捕獲していたミレトス人ヒスティアイオスのもとへ、ミレトス陥落の報がもたらされた。ヒスティアイオスはヘレスポントスの事を、アポロパネスの子でビサリテスというアビュドス人に一任して、自分はレスボス人を率いてキオスに向った。ところがキオスの守備隊がヒスティアイオスを迎え入れることを拒んだので、キオス地区にある「凹み(コイラ)」と通称されている場所で交戦し、その多数を殺した。残余のキオス人も既に先の海戦の痛手を蒙っていたので、キオス島のポリクネを基地としてレスボス軍を率いて攻めよせるヒスティアイオスの前に屈してしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻6、26 から

その後、ヒスティアイオスはタソス島を攻めます。おそらくタソス島の金鉱を手に入れたかったのでしょう。しかし、ペルシアに服属するフェニキアの海軍がミーレートスを出航し、イオーニアの他の都市を攻撃しようとしているという情報を知った時、ヒスティアイオスはタソスの攻略を中断してレスボス島に戻りました。そして、軍の糧食を求めて大陸に渡ったところをペルシア側につかまってしまいます。ヒスティアイオスは処刑されました。


これでキオスはヒスティアイオスの支配から脱することが出来たのですが、すぐにペルシア軍がやってきたのでした。

ペルシアの艦隊はミレトス附近で冬を過したが、あくる年になって出航すると、キオス、レスボス、テネドスなど、大陸に近接した諸島を易々と占領した。


ヘロドトス著「歴史」巻6、31 から

そしてペルシア側はストラッティスを再びキオスの支配者の地位に復帰させたのでした。