神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ハリカルナッソス(10):サラミースの海戦以後

クセルクセース自身は戦いに参加せず、アイガレオス山の麓に玉座を据えてこの海戦を観戦していたのですが、自分の軍の負けを悟ると、一刻も早くギリシアから撤退したいと思うようになりました。その様子を見ていた将軍のマルドニオスは、

王にギリシア遠征を説得した自分としては、いずれ処罰をうけるであろうから、むしろ今一度一か八かの冒険を試み、ギリシアを征服するか華々しく戦死を遂げるのが望ましかろうと、ひそかに考えた。


ヘロドトス著「歴史」巻8、100 から

そこでクセルクセース王に対して、殿が国許に帰られるおつもりならば自分に30万の兵を頂きたい、それによっていかにしてもギリシアを隷属せしめて殿にお渡ししなけれななりません、と願い出ました。これを聞いたクセスクセースは大いに喜んだのですが、今やクセルクセースのお気に入りとなったアルテミシアの意見をも聞いておこうと思いました。王に呼ばれたアルテミシアは、マルドニオスの策に賛成し、
「もしマルドニオスがギリシアの征服に成功すればそれは殿のお手柄になりますし、もしマルドニオスがギリシアの征服に失敗したとしても、殿御自身が安泰であられる限り、さしたる不幸でもございません。もともと今回の遠征の目的はアテーナイの町を焼き亡ぼすことであり、それはすでに実現したのですから、いずれにしても殿の御勝利であります。」
と答えたのでした。クセルクセースはこのアルテミシアの進言を聞いてわが意を得たりと喜びました。そしてクセルクセースはアルテミシアを誉めた上で、自分の息子たちを連れて小アジアのエペソスまで送り届けることを依頼したのでした。


以上がヘーロドトスが伝えるアルテミシアの物語です。それにしても、なぜヘーロドトスはアルテミシアのことを「私の讃嘆おく能わざる」と形容するのかと、またも私は疑問に思ってしまいます。私にはこの物語のどこにも讃嘆すべき事柄を見つけられないからです。ひょっとしてこれはヘーロドトスの皮肉なのではないか、と思う時もあります。

もうひとつ考えた可能性は、アルテミシアがクセルクセースのお気に入りになったことで、この海戦のあとハリカルナッソスがクセルクセースの優遇を受けたのではないか、ということです。この海戦の1年のち、BC 479年のミュカレーの戦いでイオーニアは再びペルシアから離反するのですが、どうもハリカルナッソスはこの時ペルシアに反旗を翻さなかったようです。アルテミシアがそのような動きを封じたのでしょう。よってしばらくの間、ハリカルナッソスはペルシア領に留まります。ハリカルナッソスがペルシアから独立した年ははっきりしないのですが、BC 454年にはデーロス同盟に加わっていることが確実だそうですので、それ以前に独立していることになります。ヘーロドトスはBC 485年の生まれと言われているので、サラミースの海戦の時は5歳です。その後、アルテミシアの功績によってハリカルナッソスがクセルクセースの優遇を受けたとすれば、それを少年の頃に体験したのかもしれません。そしてそれが彼をしてアルテミシアを讃美することになったのかもしれません。


しかし、サラミースの海戦後のハリカルナッソスについてヘーロドトスは何も書いていないので、この推測もあまり根拠がありません。