神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ハリカルナッソス(11):ヘーロドトス(1)


私の「エーゲ海のある都市の物語」の元ネタのほとんどはヘーロドトスの「歴史」という本です。この話題でいかにもいろいろ知っているようにブログに記事をアップしていますが、この本がなければほとんど何も書けません。
そのヘーロドトスはハリカルナッソスの出身なのでした。


(左:ヘーロドトス)

本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人や異邦人(バロバロイ)の果した偉大な驚嘆すべき事跡の数々――とりわけて両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べたものである。


ヘロドトス著「歴史」冒頭、すなわち、巻1、1 から


ヘーロドトスはさまざまな国や地域の歴史をこの「歴史」という本に詳しく記したのですが、自分のことについてはあまり書いていません。しかし「歴史」を読んでみるとヘーロドトスが広範囲に旅をしていることが分かります。たとえば、

さてエジプト人リビア人、ギリシア人を問わずこれまで私が面談した人々の中で、ナイルの水源を知っていると確言した者は一人もいなかった。(中略)
しかし私がそれとは別にできうる限りの広範囲にわたって調査し、エレパンティネの町までは自ら出向いて実地を見、それより以遠は伝聞によって知り得たところは次のようである。


ヘロドトス著「歴史」 巻2、28、29 から

エレパンティネはナイル河のほとりにある町の名です。ですからヘーロドトスはナイル河をエレパンティネまではさかのぼったことが分かります。「ハリカルナッソス(6):エジプトの傭兵としてのギリシア人」のところで紹介したロドス島の人はもう少し上流のアブ・シンベルにまで行っているので、ヘーロドトスがエレパンティネまで到達しているのもうなづけます。たぶんここがヘーロドトスの行った場所のなかで最も南の場所でしょう。
また東のほうはバビロンまでは確実に行っているようです。ひょっとしたらさらに東、ペルシア王国の首都スーサまで行っているかもしれません。

しかし(バビロンが)穀類の生産には好適の土地であることは、その収穫量が平均して(播種量の)二百倍、最大の豊作時には三百倍に達することでも判る。ここでは小麦や大麦の葉が優に四ダクテュロスになる。稗や胡麻もどのような大木になるか、私はよく知っているけれども、ここには述べまい。バビロンへ行ったことのない人には、私が穀類について今述べたことすら、とうてい信じられないことが私にはよく判っているからである。


ヘロドトス著「歴史」 巻1、193 から

西にはイタリアのタラントの付近まで行ったようです。以下の引用に登場するメタポンティオンというのは現在のイタリアのベルナルダです。

右の二つの町ではこのように伝えているが、一方私はイタリアのメタポンティオンで、アリステアスの二度目の失踪から二百四十年後――この数字は私がプロコンネソスとメタポンティオンとで計算の結果得たものである――次のような事件があったのを知っている。


ヘロドトス著「歴史」 巻4、15 から

北には黒海の北岸の現在のオデッサ付近まで来ているそうです。以下の引用の中のポリュステネス河というのは今のドニエプル河で、ヒュパニス河というのは南ブーフ川のことだそうです。

彼らが私に自分の目で実際に確かめさせてくれたことを次に述べよう。
 ポリュステネス、ヒュパニス両河の中間に、エクサンパイオスという名の土地がある。・・・・・・


ヘロドトス著「歴史」 巻4、81 から

私は彼の好奇心の旺盛さにも感心します。さまざまな民族の習慣や起源に対する探究心、ある集団(国とか民族とか)と他の集団のあいだの敵意の、あるいは好意の、起源に対する探究心、あるいは神々への信仰と儀礼の起源への探究心、など、人間というものへの関心の高さ、そして人間に対する一種のなんというか広い愛情というか敬意とかいったもの、を感じます。私は彼の「歴史」に登場するさまざまな民族の風習に関しての記事をを読んでいてよく感じるのは、「人間とはこんな生き方(あり方)もあるのだ」という、その多様性への気付きです。