神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(20):サルディスへ

アリスタゴラスはペルシアへの反乱の意志を自分の仲間たちに打ち明けました。また彼は、ヒスティアイオスから来た指令についても明かしました。その仲間の中には歴史家ヘカタイオスもいたということです。他の者たちが皆、反乱に賛成する中でヘカタイオスだけは反対の意見を述べました。以前の世界旅行で得た知識を元に、ダーレイオスの支配下にはどんな民族がいるのか、そしてそのそれぞれがどれほどの兵力を提供できるのか、を逐一述べて、その軍事力がいかに大きいのかを説明したのです。しかしアリスタゴラスは納得しません。ヘカタイオスは、ならば、どうしても反乱を起すというのであれば、と、別の案を述べました。ミーレートスが戦う上では制海権を掌握することが重要である。しかしそのためには財源がいる。その財源を得るために(ミーレートス(10)ディデュマで紹介した)ブランキダイの神殿の財宝を横領すべきだ、というものです。その神殿の財宝の多くはかつてリュディア王クロイソスが奉納したもので、莫大な価値があったのです。しかしアリスタゴラスは奉納物を横領することに神の怒りを恐れたのか、この案も採用しませんでした。それでもアリスタゴラスとその仲間たちは反乱を決行することにし、ヘカタイオスから見れば無謀な戦争に突き進むことになりました。


アリスタゴラスはまず、先日ナクソス遠征から撤退してきたばかりの同盟軍の指揮官たち、つまりはペルシアに協力するイオーニアの町々の僭主たちを捕らえました。次に、ミーレートス人が進んで自分の謀反に加担してくるように、本心は別ながら、名目上は、ミーレートスで僭主制を廃して万民同権の民主制を敷くことを宣言しました。そして、イオーニアの他の町々についても民主制を確立すべく、さきほど捕えたイオーニアの町々の僭主を、それぞれの町に引き渡しました。それらの町々は自分たちの元僭主を引き渡されても、例外はあるものの、大部分の町々は彼らを放免するに止めたということです。とにかくイオーニアの諸都市で僭主制が廃止されました。これはなかなかうまい手でした。元々アリスタゴラスの利己的な思惑で計画された反乱が、この策動によって、僭主制を利用してイオーニアを支配するペルシアに対する自由を求める民衆派の戦い、という大義名分を得ることになったのです。



次にアリスタゴラスが打った手は、ギリシア本土に強大な同盟国を見つけることでした。そのためにアリスタゴラスはまず、スパルタに向いました。スパルタでアリスタゴラスとスパルタ王クレオメネースは何日もの間会談したのですが、アリスタゴラスのもらした不用意な一言のために、援軍の要請はかなわぬことになりました。というのは、以下のようなことがあったからなのです。スパルタ王クレオメネースはアリスタゴラスに、イオーニアの海岸を発ってペルシアの都スーサまで行くのに、何日かかるか、と尋ねたのでした。それに対してアリスタゴラスは、うっかり、イオーニアの海岸から都までの道程は三ヵ月を要すると、ありのままに答えてしまったのした。するとクレオメネースはその答えにあきれて
「ミーレートスの客人よ、陽の沈む前にスパルタからお引きとり願いたい。」
と言ってアリスタゴラスの依頼を断ってしまったのです。


 しかたなくアリスタゴラスは今度はアテーナイに向いました。アテーナイはこのころには民主制になっていました。彼は民会に出席を求められ、彼がアテーナイに依頼する援軍の内容を説明するように求められました。そして最終的にはアリスタゴラスはアテーナイの民会の支持を得たのでした。このことについてヘーロドトスは現代に生きる私たちをも、うならせるような、鋭い考察を記しています。

アリスタゴラスがスパルタのクレオメネスひとりをだますことができなかったのに、三万のアテナイ人を相手にしてそれに成功したことを思えば、一人を欺くよりも多数の人間をだます方が容易であるとみえる。


ヘロドトス著「歴史」巻5、97 から


さて、アテーナイ人はアリスタゴラスに説き伏せられて、軍船20隻をイオーニア人の援軍として派遣することを議決しました。ここでヘーロドトスはもうひとつ重要なことを記しています。

この艦隊派遣がギリシアとペルシアにとって不幸な事件の発端となったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、97 から

このイオーニアの反乱をきっかけにしてやがてギリシア本土とペルシア王国との間に、世に名高いペルシア戦争が起るのですが、それに勝利したギリシア側にいるヘーロドトスがこの戦争のことをギリシアとペルシアにとって不幸な事件」と捉えていたというのが、なかなか含蓄が深いです。



さて、アリスタゴラスの許へは、アテーナイ軍が20隻の艦隊と、それからアテーナイの近くに位置するエウボイア島の町エレトリアの派遣した三段櫂船5隻を伴って到着しました。エレトリアがミーレートスに味方したのは、かつてレーラントス戦争でミーレートスがエレトリアに味方したことを恩義を感じてのことでした。他の同盟軍も到着すると、アリスタゴラスはただちにサルディスへの進撃を命じました。イオーニア軍はエペソスに着くと大挙上陸し、エペソス人を道案内としてサルディスに進撃しました。そして何の抵抗も受けずにサルディスを占領し、そのアクロポリス(小高い中心部)以外の全市を制圧しました。アクロポリスにはサルディス総督アルタプレネスが、少なからぬ手兵を率いて防備していました。アルタプレネスは最初からサルディスのアクロポリスに立て篭もる作戦を立てていたのでした。BC498年の出来事でした。