神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミーレートス(6):科学の祖タレース

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さて、次の出来事は、キンメリア人やスキュタイ人をリュディア王国の領土から放逐したあとの出来事なのか、それともまだ放逐出来ていなかった頃の出来事なのかよく分からないのですが、リュディアの首都サルディスに保護を求めてきたスキュタイ人の処遇をめぐって、リュディアとメディアが戦うという出来事がありました。その話の中に突然、ミーレートスの人間の名前が登場します。それは賢人と呼ばれたタレースで、のちにアリストテレースによって哲学者(=愛知の徒)の始祖と呼ばれた人です。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/45/Thales.jpg


タレース

 

 

 

その後、キュアクサレスがそれらのスキュタイ人の引き渡しを要求したのに、アリュアッテスが応じなかったので、リュディアとメディアの間に戦争が起り5年に及んだが、この間勝敗はしばしば処をかえた。(中略)戦争は互角に進んで6年目に入った時のことである。ある合戦の折、戦いのさなかに突然真昼から夜になってしまった。この時の日の転換は、ミレトスのタレスが、現にその転換の起った年まで正確に挙げてイオニアの人々に預言していたことであった。

 リュディア、メディア両軍とも、昼が夜に変ったのを見ると戦いをやめ、双方ともいやが上に和平を急ぐ気持ちになった。


ヘロドトス著 歴史 巻1、74 から

 

 リュディアとメディアの戦いの最中に日食が起り、そのために急に両者は講和する、という話がメインですが、それに付随して、ミーレートスの人タレースがこの日食を予言していた、という話が述べられています。タレースには、万物の元になっている物は水である、という説を出したり、エジプトのピラミッドの前で、自分の影が自分の身長と同じ長さになった頃を見計らって、その時のピラミッドの影の長さを測ってピラミッドの高さを求めたり、といった、彼の知恵に関する話がいくつか伝わっています。タレースは哲学者の始祖かもしれませんが、同時に科学者の始祖といってもいいだろうと思います。


哲学者の始祖としてのタレースについては、アリストテレースは以下のように書いています。

こうした原理の数や種類に関しては、必ずしもかれらのすべてが同じことを言っているわけではなくて、タレスは、あの知恵の愛求(=哲学)の始祖であるが、「水」がそれであると言っている。(それゆえに大地も水のうえにあると唱えた。)そして、かれがこの見解をいだくに至ったのは、おそらく、すべてのものの養分が水気のあるものであり、熱そのものさえもこれから生じまたこれによって生存しているのを見てであろう。しかるに、すべてのものがそれから生成するところのそれこそは、すべてのものの原理だから、というのであろう。


アリストテレス 形而上学 第1巻 第3章 から

 


さて、前の話に戻って日食のことですが、ありがたいことに現代の天文学のおかげで、この日食が起きたのは紀元前585年の5月28日だということが判っているそうです。これでタレースの生きていた時代がおぼろげながら見えてきました。
タレースについてはアリストテレースがこんなことを伝えています。

例えばミレトスのタレスの話もそうである。これは取財上の一つの工夫で、タレス智慧の評判が高かったために彼に帰せられているが、しかし実は一般に適用出来るものである。その話によると、彼が貧乏しているので哲学は何の役にも立たぬものであるかのように或る人々が彼を非難した時に、彼は天文学から考えて橄欖(オリーブ)が豊かに実るだろうということを知り、まだ冬の間に少しの金を工面して、手附金を渡し、誰も競争するものがいなかったので、ミレトスとキオスの橄欖油圧搾工場の全部を廉く借りうけた。橄欖の実る季節が来た時、多くの人々は同時にしかも俄にそれらの工場を求めたので、彼は自分の好き勝手な値段でそれを貸出した。かくて巨額の金を集め、哲学者たちにとって、もし彼らが欲するなら、富者になるのは容易なことであるが、しかしこれは彼等の思い煩うところではないことを示した。ともかくタレスはこのような仕方で自分の智慧を皆の眼の前に示したと言われている。


アリストテレス政治学」第1巻 第12章 より

 はたして天文学でオリーブの出来高の予測が出来るのか疑問ですが、この話は、タレースが実務についても疎くはなかったということ、けっして世捨て人のような人ではなかったことを言いたいのでしょう。また、上の引用でも哲学という訳語を使っていますが、それは天文学をその中に含むのですから、現代の「哲学」という言葉から想像するものよりももっと理系の感じのするものだと思います。


ところで、上の訳文は「橄欖」という今では見慣れない訳語を使っているので、私は、こんなこなれない訳をする人は誰?、と思って見てみたら、山本光雄氏でした。私はこの人の著作をもう一つもっています。この本です。

この本の感想については「アリストテレス 山本光雄」に書きました。

 

ヘーロドトスによるとタレースの先祖はギリシア人ではなくフェニキア人だったそうです。しかし、先祖がフェニキア人であってもギリシア人として受け入れるような土壌がミーレートスをはじめとするイオーニアの都市にはあったのでしょう。そして、このような学芸が発達するには、イオーニアが他民族の文化との接触が多い地方であることが影響しているのでしょう。


タレースの出自については、ディオゲネス・ラエルティオスがもっと詳しく述べています。

さてタレスは、ヘロドトスやドゥリスやデモクリトスの言うところによると、エクサミュアスを父とし、クレオブゥリネを母として生まれ、テリダイ一門にぞくしていた。この一門はフェニキア人で、カドモスとアゲノルの血筋をひく者たちのなかでも最も名門であった。彼は、プラトンも言っているように、七賢人の一人であった。そして賢人と呼ばれた最初の人は彼であるが、それはアテナイにおいてダマシアスがアルコーン(政務長官)であったとき(前582年)である。(中略)
 ところで、タレスがミレトスで市民権をえたのは、フェニキアを追放されたネイレオスと共にその町にやって来たときである。しかし多くの人たちの言うところでは、彼は生粋のミレトス人であって、光輝ある家柄の出であったとされる。
 彼は政治活動にたずさわったあとで、自然の研究に従事した。


ディオゲネス・ラエルティオス ギリシア哲学者列伝

 

 

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