神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(18):プラトーンが再構成した先史時代(2): 山麓に住む人々

プラトーンは、大洪水を生き延びた人々の子孫は技術をあまり持っていなかったし、小集団に分かれて暮らしていたと論じます。

アテナイからの客人 そこでわたしたちは、こんなふうに言ってもよいのではないでしょうか。こういう仕かたで生活を送ってきた多くの世代は、洪水以前の世代や今日の世代にくらべて、きっとその技術もつたなく、知識も乏しいものであったにちがいない。他の技術もさることながら、(中略)戦争の技術に関しても、乏しいものであったにちがいない。しかし他方、それだけにいっそう人が好く、勇気もあり、またいっそう思慮深く、あらゆる点ではるかに正しくもあったと。(中略)


アテナイからの客人 ところで、彼らは、立法者を必要とはしなかったし、またそのような時代にあっては、いまだ法律のようなものの生じてくる傾向も、見られなかったことでしょうね。というのも、周期の間のその時期に生まれた人びとは、いまだ文字も所有せず、むしろ、風習や、いわゆる祖先伝来の掟にしたがって、暮らしていたのですから。


レイニア おそらくそのとおりでしょう。


アテナイからの客人 だが、そのことがすでに、国制というものの一種のあり方となっています。
(中略)


アテナイからの客人 するとそういう国制は、滅亡につづく困窮状態のため、一軒一族ごとに分散してしまった者たちの中から、生じてきたのではないでしょうか。その国制にあっては、最長老の者が支配権を握っているのですが、それはその支配権を、父あるいは母から譲りうけたことによるのです。そしてそれ以外の者たちは、その長老に服従し、やがて鳥たちのように一つの集団をつくることになるのですが、それはつまり、家長の支配に従っているのであり、あらゆる王制のなかで、最も正当な王制の姿をとっているのです。


レイニア まったくそのとおりです。


プラトーン「法律」第3巻第3章 森進一・池田美恵・加来彰俊訳 より


(上:ニダ高原。クレータ島)


やがて、個々の集団が集まって、より大きな集団を作るようになったとプラトーンは言います。

アテナイからの客人 さて、その次の段階では、もっと大勢の者たちがひとところに集合し、もっと大きな集団(ポリス)をつくります。そして、初めて山麓で農耕に向かい、また野獣たちを防ぐための防備の城壁として、粗石(あらいし)だけの一種の囲いをつくるのです。こうして今度は、共有の一つの大きな家をつくりあげるのですね。


アテナイからの客人 (中略)それぞれの小さな集団は、一族ごとに、最長老の支配者と若干の風習——それらは互いの暮し方が隔たっているために、それぞれに固有のものとなっていますが——をたずさえてきます。(中略)それぞれの部族は、自分の性向を、その子供や、子供の子供に刻みつけながら、今も言うように、それぞれ固有の掟をひっさげて、より大きな共同体のなかへはいってくることになるのです。(中略)


アテナイからの客人 さらに、それぞれの部族にとって、自分たちの掟は好ましく思われるが、他のものの掟は二次的なものになるのも、やむをえないことでしょう。


同上


いろいろな一族が集まったことにより、集団に共通する規範が必要になり、ここに立法者が必要になってくる、とプラトーンは話を進めます。対話編「法律」に登場する「アテーナイからの客人」はプラトーンの思想の代弁者としてよいでしょう。

アテナイからの客人 けだし、次の段階では、そのように集合した者たちは、とうぜん、自分たち共通の代表者を何人か選び出さざるをえません。その代表者たちは、あらゆる部族の風習に目を通し、そのうち彼ら自身に最も好ましく思われたものを、公共に役立つように、指導者たち、つまり王として民衆を導いている者に明示し、それを採用するように提言するのです。こうして、彼ら代表者たちは、立法者と呼ばれることになるでしょう。他方、代表者たちは、さきの指導者たちを支配者に任命し、複数の家父長制のなかから、一種の貴族制ないしは一種の王制をつくり上げ、国制のそうした推移をくぐって政(まつりごと)を行なってゆくことになるでしょう。


プラトーン「法律」第3巻第4章 森進一・池田美恵・加来彰俊訳 より


ここまでは人類がまだ山麓に住んでいると考えられています。次に、人類が平野に下りる話が来ますが、プラトーンホメーロスの詩句をその過程の証拠として引用します。この話は次回に紹介します。