神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

クノッソス(17):プラトーンが再構成した先史時代[1]:大洪水。

プラトーンの対話編「法律」から当時(BC 350年頃)のクノッソスの姿が少し見える箇所は、以下のところでしょう。

レイニア (中略)
 ほかでもありませんが、クレテの大部分が、ある植民を行なおうとくわだてており、事の世話を、クノソスの人びとに委託しているのです。ところが、そのクノソス政府がまた、わたしのほか九人の者に、それを委託したのです。同時に政府はまた、法律についても、もしこのクノソスの法律でわたしたちに気にいるものがあれば、それを取り入れて制定するように、また、たとえ他国の法律でも、それがすぐれていると思われれば、他国のものであることに頓着せず、それを取り入れて制定するように、命じているのです。
 こういうわけですから、さしあたり、わたしにもあなた方にもお役に立つように、このようにしてみましょう。これまで話された内容から選択して、いわば根本から建国するつもりで、言葉の上で国家を組み立ててみましょう。そうすれば、わたしたちにとっては、求めていることの吟味になるでしょうし、同時に、わたしはまたわたしなりに、その組み立て方を、おそらく将来の国家に役立てることもできるでしょう。


プラトーン「法律」第3巻第16章 森進一・池田美恵・加来彰俊訳 より

プラトーンの対話編はもちろんフィクションですから、この記述をどこまで信じてよいかは問題として残ります。とはいえ、この記述からはクレータ島の諸都市が植民事業の取りまとめを委託するほどには、クノッソスは有力な町であったことが伺われます。また、クノッソスは当時でも植民市を建設していたらしいことも伺われます。


ところで、プラトーンはこの「法律」のなかで、先史時代のギリシアの歴史を再構成しています。残念ながらそれはクノーソスに注目した歴史ではないのですが、これが私には興味深く思えたので、ここに紹介します。長いので要点だけの引用します。さらに何回かに分けて紹介します。再構成は、人類(少なくともギリシア人世界)が大洪水に見舞われ、文明が滅んでしまった、というところから始まります。

(上:大洪水。フィルギル・ゾリス作。オウィディウス『変身物語』第 1 巻の版画)

アテナイからの客人 さて、昔の物語には一種の真実があると、あなた方には思われますか。


レイニア いったいどのような物語でしょう。


アテナイからの客人 洪水、疫病、その他いろいろのことで、人間は幾度となく破滅し、その結果ごくわずかの人間の種族だけが生き残ったという物語です。


レイニア 誰にだって、そういう話ならどんなものでも、文句なしに信じられますよ。


アテナイからの客人 さあそれでは、たくさんのそうしたことがらの一例として、昔々洪水のために生じた滅亡を思いうかべてみようではありませんか。


プラトーン「法律」第3巻第1章 森進一・池田美恵・加来彰俊訳 より

人類(あるいは少なくとも古代のギリシア人)が大洪水によってそれまでの文明を失ってしまった、そして、それは何度も繰り返された、という考えをプラトーンは持っていたようです。対話編「ティマイオス」でもプラトーンはエジプトの神官に次のように語らせています。なお、この神官が語っている相手はアテーナイの政治家ソローンです。

つまり、一定の間隔の年月をへた後、疫病のように、天からの洪水が襲ってあなたがたの国(=ギリシア)の人々を押し流すので、文字を知らず、教養もない人々の他は誰も残らない。そんなわけで、あなたがたはたえず若返るのであって、この国(=エジプト)や、あなたがた自身の国(=ギリシア)で古い時代に起こったすべてのことを、なにも知らないのである。あきらかに、ソロンよ、あなたが、たった今、あなたの国の人々について物語った系図は、子供の話も同然なのだよ。というのは、第一に、あなたがたはたった一度の大洪水しか覚えていないけれど、昔は、それは何度も起こっているのだ。


エーベルハルト・ツァンガー著「天からの洪水」に引用されたプラトーンの対話編「ティマイオス」から

ここで「あなたがた(=ギリシア人)はたった一度の大洪水しか覚えていないけれど」とエジプトの神官が言っているのは、ギリシア神話に登場するデウカリオーンの洪水のことを指していると思われます。そこでデウカリオーンの洪水のことも少し紹介します。なお、ここに登場するデウカリオーンはミーノースの子のデウカリオーンとは別人です。

ゼウスが青銅時代の人間を滅ぼそうとした時に、(デウカリオーンの父の)プロメーテウスの言によってデウカリオーンは一つの箱舟を建造し、必要品を積み込んで、(デウカリオーンの妻の)ピュラーとともに乗り込んだ。ゼウスが空から大雨を降らしてヘラス(=ギリシア)の大部分の地を洪水で以て覆ったので、近くの高山に遁れた少数の者を除いては、すべての人間は滅んでしまった。(中略)デウカリオーンは九日九夜箱舟に乗って海上を漂い、パルナーッソスに流れついた。そこで雨がやんだので、箱から下りて避難の神ゼウスに犠牲を捧げた。


アポロドーロス「ギリシア神話」 第1巻第7章 高津春繁訳 より

驚くほど、旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟」の物語に似ています。