神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミュティレーネー(23):最終回

アレクサンドロス大王が後継者を指名せずに若くして亡くなると、大王の部下たちが自分こそはアレクサンドロスの後継者と名乗って争い、大王の帝国は分裂し互いに侵攻を繰り返す、いわゆるヘレニズム時代になるのですが、その間にミュティレーネーがどの国の支配下にあったかを述べる能力は私にはありません。さて、これらの国々は最終的にはローマに併合されていきます。


アリステレースがミュティレーネーを去ってアレクサンドロスの家庭教師としてマケドニアに招かれたBC 342年から261年下って、BC 81年まで話を進めます。この時、ミュティレーネーは当時の支配者ローマに反乱を起しましたが、すぐにローマ軍に包囲されました。この事件そのものは歴史的にあまり重要ではないのですが、まだ若かった(19歳)ユリウス・カエサルが始めて参加した戦争という意味で注目されています。1年前に最高権力者スッラにたてついたためにローマから逃げていたカエサルは、小アジアに駐屯するローマ軍に参加することで時期を待っていたのでした。つまりは、スッラが(老齢で)死ぬのを待っていたのでした。

 十九歳の若者は、小アジア西岸一帯の属州総督だったミヌチウスの陣営に行き、軍団入りを志願した。ミヌチウスは、オリエント遠征当時のスッラの部下だった男だから、スッラ派に属す。だが官僚タイプではなく、親分肌の男でもあったのだろう。最高権力者の逆鱗にふれて逃げていながら堂々と本名を名乗ってあらわれた若者を、元老院議員を務めた人の子息には開かれている、即時の参謀本部入りをもって迎え入れたのである。


塩野七生著「ユリウス・カエサル ルビコン川以前 ローマ人の物語 IV」より

ところでミュティレーネーの反乱は、1年もたたないうちに鎮圧されたようです。カエサルはこの戦いで何らかの殊勲を挙げて「市民冠」という栄誉を受けています。



(上『ダフニスとクロエー』 ジャン=ピエール・コルトー作)



やがてローマの平和がやってきます。エーゲ海は完全にローマ帝国の内部に取り込まれ、この海にはもはや戦争の影は見当たりません。紀元後になって2世紀後半から3世紀前半に小説「ダフニスとクロエー」が書かれます。そこに描かれる山羊飼いの少年ダフニスと羊飼いの少女クロエーの恋物語の舞台はミュティレーネーの郊外にある、ある資産家の荘園でした。この小説には海賊の襲撃や戦争といったものも登場するのですが、それらは物語の背景としての役割しかなく、あっけなく解決します。主題はあくまでも主人公の2人の恋の行方です。そして最後はハッピーエンドで終わります。こういう物語が読まれたというところにローマの平和を感じます。

 夜が明けると、一同で相談の結果、また村へ帰ることになった。町の暮らしにはなじめぬといって、ダフニスとクロエーがぜひそうしてほしいと頼んだのである。そして両親たちも、二人の結婚は牧人風に執り行なうのがよかろうという意見であった。(中略)
 ディオニューソファネースは天気も好かったので、例の洞窟の前に青葉を筵(むしろ)代わりに敷いて席をもうけ、村人を全部招いて豪華な宴会を催した。これにはラモーンとミュルタレー、ドリュアースとナベーの両夫婦、ドルコーンの近親たち、フィレータースとその子供たち、クローミスとリュカイニオン夫妻も列席した。(中略)
 このような酒宴では当然のことながら、万事が百姓風、田舎風で、刈入れの歌をうたう者もあれば、葡萄を踏みながらいいかわすような戯れ言をいう者もある。フィレータースが牧笛を、ランピスが堅笛を吹いて、ドリュアースとラモーンが踊るなかで、クロエーとダフニスは接吻をかわしていた。・・・・


ロンゴス作 松平千秋訳「ダフニスとクロエー」より

私のミュティレーネーの物語は、このダフニスとクロエーのところで終わりにしたいと思います。もちろん、ミュティレーネーは現在まで続く町であり、その歴史物語も現代まで続いていくのですが、それを調べるのは私には大変なことに思えますし、その後の歴史には正直なところまだ興味が湧かないからです。お読み下さった方に感謝いたします。