神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミュティレーネー(22):アリストテレースとテオプラストス(2)

さて、アリストテレースとテオプラストスがミュティレーネーにやってきた経緯はといいますと・・・・まず、BC 347年に師のプラトーンが死去します。するとアリストテレースアカデメイアを飛び出し、アテーナイ市内からも飛び出して、小アジアにあるアッソスへ移住してしまいます。アリストテレース37歳の時です。これは、どうも自分がアカデメイアの2代目学頭になれなかったからのようです。と言ってもこの大学者のことですから、へそを曲げて・・・なんてことはなかったのでしょう。きっと独自の思想傾向がアリストテレースの中で大きくなって、すでにこの頃にはアカデメイアの他の学徒たちとの意見に開きが出てきたのでしょう。それでも師のプラトーンが生きている間はそこに学ぶべき何かを見出してたのだが、師が没してしまった今となっては、もはやアカデメイアに留まる理由がなかったのだと思います。
小アジアのアッソスはヘルミアスという人が支配権を握っていましたが、彼は何とかつてアカデメイアに属していた人間でした。そうであるからにはプラトーンの理想の一部なりともアッソスで実現しようとしてその支配権を握ったのでしょう。そこへ、アリストテレースが移住したということは、おそらくヘルミアスがアリストテレースを呼んだのだと思います。あるいは、BC 347年よりも以前からヘルミアスはアッソスの統治に協力してもらうためにアリストテレースを誘っていたのかもしれません。しかしアリストテレースプラトーンが生きている間はアテーナイを離れたくなくて断っていたのが、師の死を契機にヘルミアスの誘いに応じたのではないでしょうか。この時、テオプラストスは一緒には行かなかったようです。アリストテレースはアッソスに移住すると、ヘルミアスの養女と結婚しています。これは、ヘルミアスの統治に協力していく姿勢の表れでしょう。

プラトンの死後、アリストテレスは同門のクセノクラテスとともに、小アジアの北部地方トロアスのアッソスに向かってはるばる旅立った。(中略)アッソスにはプラトン学徒のエラトス、コリスコスの二人とヘルミアスとが住んでいた。ヘルミアスは奴隷の境涯から身を起こしてアッソスおよびアタルネウスの君主となったもので、前の二人は彼の忠告者としてプラトンから先に推挙されてこの地に来ていた者である。アリストテレスとクセノクラテスがアテナイを去ったのは、このプラトンの崇拝者だった君主の招聘にもよるのであろうが、また他方でアカデメイアを継いだプラトンの甥スペウシッポスをプラトン精神の後継者と認めてその下に留まることを快しとしなかったからであろうと想像される。それゆえ、故郷をなくしたプラトン精神のために、新たに故郷をその地に求める望みもアリストテレスにはあったのだろう。この地で今や彼は独立の教師として活動することができた。その間に彼独自の立場もだんだん固まってきたに違いない。


山本光雄著「アリストテレス (自然学・政治学)」より

ところがアリストテレースがアッソスに移住して2年後、ヘルミアスがペルシアの将メルトンに騙されて捕えられ、死刑にされるという事件が起ります。ヘルミアスの協力者だったアリストテレースの身にも危険が迫ります。この時にミュティレーネーに来ることをアリストテレースに勧めたのがテオプラストスだったようです。おそらくテオプラストスもプラトーンの死後、アカデメイアを飛び出して、故郷のエレソスに近いミュティレーネーに移住していたのでしょう。


アリストテレースはミュティレーネーに3年ほど滞在しました。その間、何か逸話があればよいのですが、専門書には「アリストテレスの生物学的研究の資料の多くは、かれのアッソスおよびミュティレネ滞在中になされたもののようである」としか書かれていません。アリストテレースの生物学に関する著作には「動物誌」「動物部分論」「動物運動論」などがあります。このうち「動物誌」の内容梗概が日本語のウィキペディアの「動物誌(アリストテレス)」の項に出ていましたが、それはその研究の広範囲さ緻密さを感じさせるものです。全部で10巻あるのですが、たとえば第2巻の内容は以下のようです。
第1~9章は「胎生四足類の外部」について

  • 第1章 - 四肢、歯
  • 第2章 - イヌの歯
  • 第3章 - ウマ等の歯
  • 第4章 - ヒトの歯
  • 第5章 - ゾウの歯
  • 第6章 - ゾウの舌
  • 第7章 - 口、カバ
  • 第8章と第9章 - サル
  • 第10章 - 卵生四足類の外部
  • 第11章 - 卵生四足類の外部 カメレオン
  • 第12章 - 鳥類の外部
  • 第13章 - 魚類の外部、イルカについて
  • 第14章 - 蛇類、ゴカイその他の外部

第15~17章は「有血動物の内部」について

  • 第15章 - 食道、気管と肺臓、肝臓と脾臓、胆嚢
  • 第16章 - 腎臓と膀胱
  • 第17章 - 心臓、肝臓と脾臓、胃と腸、ヘビについて

私は、アリストテレースがミュティレーネーに来たのならば、海の生物に関する研究もしたのではないかと思い、第4巻の章立てにそれを感じてみたいと思いました。

  • 第1章 - 無血動物の諸類、軟体類とその部分
  • 第2章と第3章 - 軟殻類とその部分(続き)
  • 第4章 - 殻皮類とその部分、ヤドカリ類
  • 第5章 - ウニ類
  • 第6章 - ホヤ類、イソギンチャク
  • 第7章 - 有節類とその部分、海産の珍奇な動物
  • 第8章 - 感覚と感覚器
  • 第9章 - 音と声と言葉
  • 第10章 - 睡眠と覚醒、夢
  • 第11章 - 雄と雌の相違

また、上に引用した山本光雄著「アリストテレス (自然学・政治学)」に「動物誌」からの引用として出てくる以下の文章からも、当時のアリストテレースとテオプラストスが海辺の生物をいろいろ採取しながら、議論を重ねていった様を感じてみたいと思いました。

現に海にいる動物の二、三のものについては、それらが動物であるか植物であるか、よくわからないものもあるだろう。なぜなら、それらはものに固着していて、引き離されると、このようなものどもの多くは死んでしまう。たとえば、タイラギはものに固着しており、マテガイは穴から引き出されると、生きることができないからである。一般に殻皮類(貝類)は移動性の動物にくらべると、植物に似ている。また感覚については、それらの或るものは何一つそれを示さないし、或るものは示すにしてもはっきりしない。或る二、三のものは、たとえばホヤと呼ばれるものどもやイソギンチャクの類のように、身体の構成が肉質であるが、しかしカイメンとなると、植物そっくりである。


山本光雄著「アリストテレス (自然学・政治学)」に引用されたアリストテレス「動物誌」第8巻第1章より


(タイラギ)



(マテ貝)




(ホヤ)


このアリストテレースのミュティレーネー滞在は、マケドニアフィリッポス2世が自分の息子アレクサンドスの家庭教師としてアリストテレースを招聘したことによって終わりを告げます。アレクサンドロスというのは、のちにペルシアを征服して大帝国を作る、あの有名なアレクサンドロス大王のことです。この時、テオプラストスも一緒にマケドニアに行ったようです。アリストテレスアレクサンドロスの家庭教師としてどんな教育をしたのかにも興味がありますが、ミュティレーネーから話題が離れてしまいますので、この話はここまでにします。