神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ナクソス(9):ペルシアの侵攻(1)

BC 500年頃、ナクソスに政変が起り、資産階級の幾人かが、民衆派によって国を追われるという事件がありました、彼らはミーレートスの僭主ヒスティアイオスと面識があったので、ヒスティアイオスを頼ってミーレートスに亡命してきました。

当時、ミーレートスはペルシアの支配下にあり、僭主のヒスティアイオスはペルシア王ダーレイオスの求めによりペルシアの首都スーサに移住していました。そのためナクソスからの亡命者たちはヒスティアイオスにではなく、その代理を務めていたアリスタゴラスという者に面会したのでした。

 ミレトスへ亡命してきたナクソス人たちは、軍隊を貸してもらい、その力で祖国に帰りたいと思うが、なんとかならぬものか、とアリスタゴラスに頼んだ。


ヘロドトス著「歴史」巻5、30 から

この話を聞いてアリスタゴラスは、もし自分の力で彼らを帰国させてやることが出来たならば、ナクソスの支配権を得ることが出来るだろう、と考えました。

アリスタゴラスは、もし自分の尽力でこの者たちを帰国させてやることができれば、ナクソスの支配権を握れるものと思案して、彼らとヒスティアイオスとの旧情を口実にして、次のような提案をした。
「私としては、いまナクソスを牛耳っている一派の意志に反しても、諸君の帰国を強行するに足る強力な軍隊を、諸君に提供すると約束することはできぬ。ナクソスには八千の重装兵と、軍船多数があるときいているからだ。しかし、できる限りのことをして、諸君のために計らってあげよう。
 私の考えている策とはこうじゃ。幸いアルタプレネスと私は懇意な仲である。アルタプレネスというのは、よいかな、ヒュスタスペスの子で、つまりはダレイオスの兄弟に当る。この男はアジアの沿海地方一帯を支配し、大軍隊と艦船多数を掌握している。彼に頼れば、われらの必要とすることをやってくれるに違いない。」
 これをきいたナクソスの亡命者たちは、せいぜいよろしく取計らってほしいと、アリスタゴラスにたのみ、アルタプレネスへの謝礼と軍隊の必要経費は、いずれ自分たちが弁済するから、アリスタゴラスから相手方へ約束しておいてくれるように依頼した。


ヘロドトス著「歴史」巻5、30 から

ナクソスの亡命者たちが「必要経費は、いずれ自分たちが弁済するから」と請け負ったのは、彼らはナクソスにおける自分たちの権威を信じていたからでした。

というのも彼らは、自分たちがナクソスに姿を現わせば、ナクソス人は万事自分たちのいうがままになろうし、ナクソスのみか他の島々も同様になるという、満々たる自信をもっていたからである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、30 から


アリスタゴラスはサルディスに行き、アルタプレネスに、ナクソスは地味肥え、財宝や奴隷も豊かな国である、彼らを帰国させたあかつきには、この島をダーレイオス王の版図に加えることが出来るでしょう、と説明して軍船を出すことを承知させました。アルタプレネスは、ダーレイオス王の許可をとったうえで、自分の従兄弟のメガバテスを総指揮官に任命し、200隻の三段櫂船とペルシア軍および同盟国軍よりなる遠征軍を率いさせてアリスタゴラスの許へ送りました。

(上:ナクソスの風景)

 

 メガバテスは、アリスタゴラスをはじめイオニア軍およびナクソスの亡命者たちを自軍に迎えると、あたかもヘレスポントスに向うかのごとく見せかけてミレトスを出帆し、キオス島に着くや、船団をカウカサ港に停泊させ、北風が吹き次第、ナクソスに向う手筈を整えていた。


ヘロドトス著「歴史」巻5、33 から


これに対してナクソス側は、これらの軍隊が自分たちを攻めるための軍隊であるとは夢にも思っていませんでした。これらの軍勢は北のヘレースポントスに向うものとばかり思っていたのです。ところが、アリスタゴラスがひょんなことで総指揮官メガバテスを怒らせてしまい、それが原因でナクソスはようやく、この軍隊が自国を目指してくるものであることを知ったのでした。

 メガバテスが艦隊の警備状況を巡察していた時のこと、たまたまミュンドスからの船に、一人も警備兵がいなかった。メガバテスは激怒し、自分の親衛隊の兵士たちに命じて、その船の艦長であるスキュラクスという男を探し出して縛り上げ、頭は船外、胴体は船内、というふうにして、船の橈孔に押し込んだ。
 スキュラクスが縛られた後、アリスタゴラスの許へ、彼には親しいミュンドス人の艦長を、メガバテスが縛って手荒な仕置きをしている、と告げたものがあった。アリスタゴラスは出向いていって、メガバテスに釈放方を頼んだが、相手がきき入れぬので、自分で行って艦長の縛(いまし)めを解いてしまった。
 これを知ったメガバテスは大いに怒り、アリスタゴラスに向っていきり立ったが、アリスタゴラスがいうには、
「これはそなたとなんの関係もないことじゃ。そもそもアルタプレネスがそなたを派遣したのは、私の命令に服し、私の命ずるままに船を動かすためではなかったのか。要らざる節介は止めにするがいい。」
 アリスタゴラスはこういったが、相手はこの言葉に腹を立て、日の暮れるのを待って小船で人をナクソスへ送り、ナクソス人に迫っている事態をことごとく告げさせたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、33 から


このことを知ったナクソスは、あわてて籠城の準備を整えたのでした。

 実際ナクソス人は、今度の遠征が自分たちを目指しているものであるとは、夢にも考えていなかった。しかしそうと知るや、すぐに城外にある物資を城壁の内へ移し、籠城の覚悟をきめて食糧と飲料を用意し、城壁の補修を行なった。
 ナクソス側はこのように、戦争必至とみて準備を怠らなかったので、遠征軍が船隊をキオスからナクソスに進めたときには、すでに防備を整えた相手に立ち向かわねばならなかったわけで、かくて包囲戦は四カ月にわたって続いた。やがてペルシア軍の用意してきた軍資金は底をつき、これに加えてアリスタゴラス個人の出費も多額に上り、包囲を続けるためには、更に多額の戦費を必要とする事態になるに及んで、遂に遠征軍は(中略)惨憺たる状態で大陸へ引き上げていった。


ヘロドトス著「歴史」巻5、34 から


このようにしてBC 499年の、ペルシアによるナクソス攻撃は撃退されたのでした。