神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ハリカルナッソス(8):アルテミシア(2)

さて右の全部隊がアテナイ地区に達したとき(中略)クセルクセスは水軍の将士たちと接触しその意見を知りたく思い、自ら船団を訪ねた。クセルクセスが到着して最上席に坐ると、船団からは召しに応じて各国の独裁者と部隊長が参集し、王の定めた序列に従って座を占めた。第一にはシドンの王、次にテュロスの王というふうに順次席についたのである。一同が席次に従って居並ぶと、クセルクセスは各人の真意を探ろうとして、マルドニオスを介して海戦を開く是非を質問した。


ヘロドトス著「歴史」巻8、67 から

マルドニオスはペルシア王国の重臣の一人です。クセルクセースはあまりに高貴なため、自ら将士たちに問いかけるのではなくて、マルドニオスを介して問いかけたのでした。それに対して、ペルシアに服属する各民族、各都市の首長たちがいずれも、海戦を行なうべし、と答えた中にハリカルナッソスの僭主アルテミシアだけは次のように答えたのでした。ヘーロドトスの記すその回答は少し長いですが、アルテミシアの性格を髣髴とさせるものなので、そのまま引用します。




(右:女神アルテミス。アルテミシアの名前は、狩りと動物の女神であるこのアルテミスに由来する)

「マルドニオスよ、どうかこれから私の申すとおりを王にお伝え願いたい。エウボイア沖の海戦に、その働きは決して人後に落ちることなく、功績においても他に劣ることのなかった私の申すこととは、

『殿よ、私がただいま一番殿のおためになると思っておりますことを、ありのまま申し上げますのが、私として正しいことと存じます。私の申し上げたいこととは、水軍を温存し海戦はなさらぬように、ということでございます。その理由は、海上において敵が御麾下の将兵に勝ることは、男児と女子との差ほどもあるからでございます。そもそも殿には海戦を開いて危険を冒される必要がどこにありましょう。今次の御遠征の目標でありましたアテナイはすでに殿の御掌中にあり、その他のギリシア領も同様ではありませんか。殿の御進路を阻むものはもはや一人もおりません。殿に刃向ったものどもは当然のことながらことごとく退散してしまいました。
 敵の状況がどのようになってゆくか、私の考えるところを申し上げましょう。もし殿が功を急いで海戦を開くようなことをなさらず、ここをお動きにならずに水軍をこのまま陸地の近くに留めておかれるか、あるいはさらにペロポネソスへ進出なさいますならば、殿よ、ことは易々とはじめの御計画どおりに運びましょう。ギリシア軍には長期にわたって抵抗する力はありません。殿が彼らを分散せしめられますならば、彼らはそれぞれ国許へ逃亡いたしましょう。私の聞いておりますところでは、この島には彼らを養う食糧はないとのことであり、またもし殿が陸上部隊ペロポネソスにお進めになれば、同地出身の部隊が動揺せずにおるとは考えられず、もはやアテナイのために海戦を行なうことなどはその念頭から消え失せましょう。
 しかしもし殿が功を急がれて海戦をなされますならば、私の恐れますのは、水軍が敗れた場合陸軍にも累を及ぼすことでございます。さらにまた王よ、すぐれた人間にはつまらぬ家来が、つまらぬ人間にはすぐれた家来が附くのが世の慣いであるということを、お心にお留め願います。殿のお味方の数に入れられてはおりますが、エジプト人、キュプリス人、キリキア人、パンピュリア人などは、何の役にも立たぬものどもでございます。』


ヘロドトス著「歴史」巻8、68 から

クセルクセースはこの意見をマルドニオスから伝えられると「アルテミシアの意見をことのほか喜び、以前からも彼女を優れた女性と考えていたが、この時はまた格段に天晴れな振舞いであると賞揚した」とのことですが、それにも関わらずクセルクセースは海戦を命じます。
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(上:サラミース島)

発進の命が下ると、ペルシア軍は船をサラミスへ向け、平穏裡にそれぞれの配置につき、戦闘隊形を整えた。しかしこの時すでに日は没し、海戦を行なうには明るさが足りず、翌日を期して先頭の準備にかかったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、70 から

翌日、クセルクセースはサラミース島の正面にあるアイガレオスという山の麓に玉座を据えて座り、この戦いを観戦することにしました。つまり、自ら軍中で指揮するということはしないのです。彼の考えではそういうことは臣下がすべきことなのでした。彼がしたのは自分の配下の将兵が戦うのを監督し、誰が手柄を立て、誰が卑怯な振舞いをしたのか、をそばに控える書記に記録させることでした。この態度からも、クセルクセースが勝利を確信していたことが分かります。