神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

エペソス(13):使徒パウロ

 エペソスは新約聖書にも登場します。使徒パウロがエペソスに滞在していた時の出来事が、使徒行伝19章に載っています。
 ところで私はキリスト教についてはそれほど知らないので、私の解釈に何か間違いがありましたら、すみません。

 そのころ、この道について容易ならぬ騒動が起った。そのいきさつは、こうである。デメトリオスという銀細工工人が、銀でアルテミス神殿の模型を造って、職人たちに少なからぬ利益を得させていた。この男がその職人たちや、同類の仕事をしていた者たちを集めて言った。
「諸君、われわれがこの仕事で、金もうけをしていることは、ご承知のとおりだ。しかるに、諸君の見聞きしているように、あのパウロが、手で造られたものは神様ではないなどと言って、エペソスばかりか、ほとんどアジア全体にわたって、大ぜいの人々を説きつけて誤らせた。これでは、お互いの仕事に悪評が立つおそれがあるばかりか、大女神アルテミスの神殿も軽んじられ、ひいては全アジア、いや全世界が拝んでいるこの大女神のご威光さえも、消えてしまいそうである。
 これを聞くと、人々は怒りに燃え、大声で「大いなるかな、エペソス人のアルテミス」と叫びつづけた。


使徒行伝19章21~28節

 私が使用したのは日本聖書協会の1954年改訳版ですが、固有名詞などを、若干勝手に直しています。原文との違いは以下の通りです。「デメトリオス」→「デメテリオ」。「エペソス」→「エペソ」。「アルテミスの神殿」→「アルテミスの宮」。
 さて、上の引用で書かれているのは、デメトリオスという銀細工職人のキリスト教への反感です。特に「手で造られたものは神様ではない」という主張に対する反感です。職人たちが「大いなるかな、エペソス人のアルテミス」と叫ぶ気持ちは分かるような気がします。アルテミス神殿は何と言ってもエペソスの中心であり、少なくともBC 8世紀後半には神殿が建てられていたことが考古学によって確認されています。そしてそれ以前、イオーニア人たちがエペソスを建設する以前からその地は聖所とされていたのでした。とすれば少なくとも700年、おそらくは千年近い歴史があったのです。それは長い伝統を持つ巨大な権威だったわけです。

 そして、町中が大混乱に陥り、人々はパウロの道連れであるマケドニア人ガイウスとアリスタルコスを捕えて、いっせいに円形劇場へなだれ込んだ。


使徒行伝19章29節

 28節までは、銀細工職人たちが怒っていたという話だったのが、ここで急に「町中が大混乱に陥」ったと叙述が進んでいます。銀細工職人たちの怒りが他の市民に感染していったのでしょうか? さて、上で私は「円形劇場」と書きましたが、原文は「劇場」でした。私は最初この箇所「いっせいに劇場へなだれ込んだ」を読んだ時に、日本の一般的な劇場を思い浮かべていて、何でそんなところへなだれ込んだのだろうと思ったのですが、よく考えてみると、これはエペソスの遺跡に現代まで残っている円形劇場に違いありません。エペソスには大きな円形劇場があります。

 あと、細かい話ですみませんが、地名人名を少し直しています。原文では「マケドニア」→「マケドニヤ」、「ガイウス」→「ガイオ」、「アリスタルコス」→「アリスタルコ」です。

パウロは群衆の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそれをさせなかった。アジア属州の議員で、パウロの友人であった人たちも、彼に使をよこして、円形劇場にはいって行かないようにと、しきりに頼んだ。中では集会が混乱に陥ってしまって、ある者はこのことを、ほかの者はあのことを、どなりつづけていたので、大多数の者は、なんのために集まったのかも、わからないでいた。そこで、ユダヤ人たちが、前に押し出したアレクサンドロスなる者を、群衆の中にある人たちが促したため、彼は手を振って、人々に弁明を試みようとした。ところが、彼がユダヤ人だとわかると、みんなの者がいっせいに「大いなるかな、エペソス人のアルテミス」と二時間ばかりも叫びつづけた。


使徒行伝19章30~34節

「アジア属州」→「アジア州」。「アレクサンドロス」→「アレキサンデル」。アジア属州の範囲は以下のとおりです。

「アジア属州の議員で、パウロの友人であった人たち」という記述は、パウロローマ市民権を持っていたことを思い出させます。パウロには有力者の友人がいたようです。「ある者はこのことを、ほかの者はあのことを、どなりつづけていたので、大多数の者は、なんのために集まったのかも、わからないでいた。」という記述は、上の写真のような円形劇場を思い浮かべると、情景がしっくりきます。

 ついに、市の書記役が群衆を押し静めて言った、
「エペソスの諸君、エペソス市が大女神アルテミスと、天(あま)くだったご神体との守護役であることを知らない者が、ひとりでもいるだろうか。これは否定のできない事実であるから、諸君はよろしく静かにしているべきで、乱暴な行動は、いっさいしてはならない。諸君はこの人たちをここにひっぱってきたが、彼らは神殿を荒す者でも、われわれの女神をそしる者でもない。だから、もしデメトリオスなりその職人仲間なりが、だれかに対して訴え事があるなら、裁判の日はあるし、総督もいるのだから、それぞれ訴え出るがよい。しかし、何かもっと要求したい事があれば、それは正式の議会で解決してもらうべきだ。きょうの事件については、この騒ぎを弁護できるような理由が全くないのだから、われわれは治安をみだす罪に問われるおそれがある」。
こう言って、彼はこの集会を解散させた。


使徒行伝19章35~41節

 上記引用中「神殿」は、原文では「宮」です。「裁判の日はあるし、総督もいるのだから」とか「正式の議会で解決してもらうべき」というところにローマ帝国の精緻な統治機構を感じます。そして騒ぎを収めた「市の書記役」の力量が印象に残ります。さて、このあとどうなったかといいますと、使徒行伝によれば

 騒ぎがやんだ後、パウロは弟子たちを呼び集めて激励を与えた上、別れのあいさつを述べ、マケドニアへ向かって出発した。


使徒行伝20章1節

となっていて、話はエペソスから離れてしまいます。