神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

テネドス(4):アポローン神の子供たち


テネース自身がアポローンの子であった、という伝承もあります。この伝承では、アキレウスはテネースを殺したことによって、自分がアポローンに殺される運命になった、というふうに語られます。そして、アキレウスの母親で海の女神たちの一人であるテティスは、神としてそのことを事前に知っていて、それをアキレウスに忠告していたのですが、アキレウスはテネースがアポローンの子だと知らずに殺してしまった、ということです。


アキレウスアポローン神(とトロイアの王子パリス)の放った矢によって倒れることは、「イーリアス」ですでに暗示されています。それは親友パトロクロスの戦死に憤ったアキレウスが戦場に復帰する際に、アキレウスの戦車の馬の中の一頭でクサントスという名の馬が人の言葉を発してアキレウスの運命を予言する場面です。

「いかにも十分 今とてご無事をお図りしましょう、剛毅なアキレウスさま、
それにもせよ、御最後の日が迫っております、もとよりそれは私どもの
所以(せい)ではないので、あるお偉い神様と、容赦ない定業(じょうごう)のため
、――
また決して私らの脚の緩さや怠慢からして、トロイエー軍が
パトロクロスさまの肩から 鎧を剥いで取ったのではなく、
神様の中でも一番に偉い、髪も美事なレートーさまの
お産みの方が、先陣の間に討ち取り、ヘクトールに誉れを授けたのです。
私どもは それこそ西風の息吹とひとしく馳(かけ)りもしましょう、
その風足が一番軽いという風ほども。それでもあなた御自身は、
神さまと一人の男に雄々しく 討たれるものと定まってるのです。

 こう言い終えると、エリーニュエスがその声を止めた。
それに、大層気色を損ねて、脚の迅いアキレウスが言い返すよう、
「クサントスよ、何故(なぜ)私の死などを預言するのか、余計なことを。
 もう十分に自分でも心得ているのだ、此の処で愛しい父や
 母上からも遠く離れて死ぬ運命だと。だがそれにもせよ、
 トロイエー人(びと)らを 戦さに飽かせて追い立てずには止まないだろう。」
 こう言うなり、先陣の間(あい)へ雄叫びあげて、単蹄の馬を馳せた。


ホメーロスイーリアス」第19書の最後のあたり 呉茂一訳 より



 アキレウスに課された運命が胸に迫る名場面だと思います。それでも、この運命がテネースを殺したためとは、「イーリアス」では述べられていません。普通の説明では、アキレウストロイア戦争に参加すれば不滅の名誉を得られるが若くして死ななければならない、参加しなければ長生きできるが無名のままで命を終える、という運命を課せられていたが、アキレウス自身が前者を選んだ、ということになっています。


テネドス島から話が逸れてしまいました。話をテネドス島に戻します。もし、テネースがアポローン神の子であるならば、妹のヘーミテアーもアポローン神の子であるかもしれません。そうであると考えると、二人が海岸で箱から出てきた時にレウコプリュス島(=テネドス島)の住民がテネースを王に推戴した理由も少し分かってくるような気がします。つまり、彼らは罰として箱に閉じ込められたのではなく、彼らはアポローン神から遣わされた神の子たちだったのです。これは島の王家の神聖な起源を物語る伝承だったのかもしれません。しかし、この王家の伝承はギリシア人によってぞんざいに扱われ、始祖であるはずのテネースもヘーミテアーもアキレウスによって退場させられることになってしまったのでしょう。


とはいえ、私はギリシアの伝説の中に類似したものを見つけられなかったので、上に述べた私の推測に今ひとつ自信を持てません。正直なところ、どうも私はギリシアではなく、遠く離れた北欧の伝説のひとつが記憶に残っていて、それの影響を受けて上のような推測をしたようです。ともあれ、その伝説の一部を紹介します。これは、V.グレンベック著、山室静訳「北欧神話と伝説」に載っていたものです。

 シェーラン島のレイレに都した王家は、自らをスギョルドンゲルと呼んだ。一族の祖先はスギョルドと言って、どこからとも知れず、海上を漂って来た者であった。
 大昔のあるとき、デーン人(=デンマーク人の祖先)たちは一艘の船が岸に向って進んでくるのを見た。船には漕ぎ手もなく、舵取りも甲板には見えなかった。それが港に入って来て杙(くい)に横づけになった時、彼らは甲板に小さい少年が眠っているのを見出した。頭を麦の束の上にのせ、周りには武器が積み上げられていた。デーン人たちは彼を陸地に運んで、民会につれて行った。そして彼を聖なる石の上に座らせて、彼を王に推戴した。


V.グレンベック著 山室静訳「北欧神話と伝説」の中の「スギュルド家とハドバルド家」の中の「スギョルド王」より

この伝説に似たような話がテネースの伝説の背後にあるのではないかと、私は感じたのでした。