神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ミュティレーネー(3):アイオリス人の到来

ミュティレーネーのあるレスボス島は、トロイア戦争の頃はギリシア人が住んでいないようでした。では、ギリシア人がレスボス島にやってきた時の様子が何か伝承に残っているでしょうか? 高津春繁の「ギリシアローマ神話辞典」で調べたところ、断片的で異説の多い伝承が記されていました。

マカルまたはマカレウス
イーリアス》ではレスボスの王。普通は太陽神ヘーリオスとロドスとの子で、兄弟テナゲースを殺して、この島に逃れたことになっているが、一説には彼はゼウスの子クリーナコスの子で、ペロポネーソス北岸のオーレノスの人であり、デウカリオーンの洪水後イオーニア人その他の移住民を率いてレスボスに移った。同じころラピテースの子レスボスもまたデルポイの神託によりこの島に移住。マカルの娘メテュムナーを娶り、レスボス島にその名を与えた。マカルにいま一人の娘ミュティレーネーがあり、メーテュムナーとともに同名の二つの市にその名を与えた。


高津春繁の「ギリシアローマ神話辞典」より

ラピテースの子レスボスという男がおり、この人物がレスボス島にやってきたことからレスボス島という名前になったということです。そしてマカルの娘メテュムナーと結婚したのですが、そのメテュムナーの妹(姉かもしれない)にミュティレーネーという娘がいて、この娘によってミュティレーネーの町の名前がつけられた、ということです。もし、イーリアスで先に引用した箇所を重視してマカルはギリシア人ではないとした場合、このレスボスなる人物がレスボス島にやってきた初めてのギリシア人ということになります。このレスボスについて「ギリシアローマ神話辞典」で調べてみると

レスボス
ラピテースの子でアイオロスの孫。神託により、レスボス島に来住。その王マカレウスの娘メーテュムナーを娶った。マカレウスのあとを継いで王となり、その名をこの島に与えた。


高津春繁の「ギリシアローマ神話辞典」より

とあり、大体の内容は先の「マカル」の項目と重複していますが「アイオロスの孫」という記述があり、この点からアイオリス族に属すると見なすことが可能です。


以上は、話をすっきりさせるために取捨選択して並べたのであって、本当はもっと錯綜しています。たとえば先にも述べましたが、マカルについてはアイオロスの子という説もあり、そのアイオロスにしても同名異人がいることがそうです。また、レスボスの父親というラピテースは通常はアイオロスの子ではなくラピタイ族の名祖であってその父親ははっきりしていなかったりする、ということがあります。ただラピタイ族もテッサリアに住む種族ですので、大きく言えばアイオリス人の故郷からレスボス島への移住の流れがあったことが暗示されています。


それにしても、レスボスという男にレスボス島の名前が由来し、マカルの娘たちの名前がレスボスにある主要な町の名前のもとになった、というこの伝承は、いかにも作り物めいています。そこで、もう少し事実を感じさせるような伝説はないものだろうか、と考えてみました。そしてアルゴー号の冒険の物語に思い当たりました。アルゴー号の冒険というと、私は子供の頃に見た特撮映画を思い出します。

この空想的な物語のどこに「事実を感じさせる」要素があるのか、と言われそうですが、その理由をこれから述べていきたいと思います。まずアルゴー号の経由地の中に残念ながらレスボス島はありませんが、その進路がアイオリス人の植民活動の流れを示しているように思えるということがあります。

ギリシアの方言の分布を示す地図にアルゴー号の航路を黄色の線で加えてみました。