神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

コリントス(7):ベレロポンテース(2)

キマイラを退治したベレロポンテースに対し、リュキア王はさらにソリュモイ族とアマゾーン族の退治を命じ、それでもベレロポンテースが死ななかった場合に備えて、リュキア国内の勇士を集めて、彼を待ち伏せて殺す手配をしました。

さらに続いて、名を謳われたソリュモイ族と戦いをした、
これこそ彼が加わった兵戦のうち、一番に劇しい戦さだという。
三番目にはまた、男にも匹敵する アマゾーンの女軍を斃(たお)した、
ところが彼が恙なく戻ってくると、またもや計略手ぬかりなく
織りめぐらして、広大なリュキエー中から武勇の者をすぐり出だし、
伏兵を設けておいた、だがその人々さえ再び家には戻らなかった、
というのは人品すぐれたベレロポンテースが 皆殺しにしてしまったゆえ。


ホメーロス 「イーリアス 第6書」 呉茂一訳 より

ここに至ってリュキア王は、ベレロポンテースに神々のご加護があることを悟ったのでした。そして、自分の娘をベレロポテースにめあわせ、自分の後継者にしました。

このようにしてとうとう彼が 神の御胤の勇士であると解ったもので、
そのまま王は彼を引き留め、自分の娘をめあわせようとし、
おのれが国のあらゆる威権の 半ばを彼に頒ちあたえた。
さればこそリュキエーの人らは彼に対して 他に超え優れた荘園をえらび、
植木といい田畠といい、立派な土地をその所領にと提供した。
されまた王女は、雄々しい気性のベレロポンテースとの間に三人の
子を設けた、イーサンドロスにヒッポロゴスにラーオダメイアと。


同上

こうしてベレロポンテースに幸福な日々が訪れました。しかし、やがて幸福な日々も終わります。


ベレロポンテースは、ペーガソスに乗って天上に達しようとしたといいます。その時ゼウスは人間の分際を越えたベレロポンテースの行為に怒り、彼を雷霆で撃ちました。ベレロポンテースはペーガソスから落馬し、地上に墜落しました。彼は死にませんでしたが、その後は惨めな姿で人を避けながら暮らすようになったということです。

さりながらその彼さえ、あらゆる神の憎しみをついには受ける身となったれば、
いかさま、アレーイオンの野辺をあまねく、唯一人してさ迷い歩いた、
おのが心を貪り喰いつ、人間のかようところを避けながらも。


同上

ベレロポーンのその後については伝えられていません。


ここで、ベレロポーンに関係の深い天馬ペーガソスについても述べておきます。ヘーシオドスによれば、ペーガソスは英雄ペルセウスが女怪メドゥーサの首を刎ねたときに、その首から出現しました。また、ペーガソスは大神ゼウスのために雷鳴と雷光を運ぶ役目を持っていました。

さて 彼女(=メドゥサ)の首を ペルセウスが刎ねると
そこから大いなるクリュサオルと馬ペガソスが躍り出た。
この馬にその名がついたのは 大洋(オケアノス)の泉(ペーゲ)のほとりに
生まれたからで 他はその手に黄金の剣(クリュセイオン・アオル)をもっていたことから その名があった。
さてペガソスは羊らの母なる大地をあとに翔(と)び立ち
不死の神々のもとへと赴いた いま彼はゼウスの高館(たかどの)に住み
賢いゼウスのもとへ雷鳴と雷光をもち運ぶ。


ヘーシオドス「神統記」 廣川洋一訳 より


(上:コリントスの硬貨。ペーガソスが刻印されている。)


また、ペーガソスはギリシアの各地で地面を蹄で蹴って、泉を湧き出させました。まだベレロポンテースがコリントスを離れる前のことですが、トロイゼーンの王女アイトラーに求婚するために、ペーガソスに乗ってトロイゼーンまでやってきたことがありました。その時にペーガソスが蹴ったところが泉になったといいます。このためトロイゼーンの人々はこの泉をヒッポクレーネ(馬の泉)と呼び、その水を神聖視しました。一方この結婚話のほうは、結婚に至る前にベレロポンテースはコリントスから追放されてしまったために流れてしまいました。