神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書いていきます。

クニドス(6):エウドクソス

クテーシアースがペルシアの宮廷で活躍していた頃に生まれたと思われるクニドス人の中にエウドクソスがいます。エウドクソスの父アイスキネースは星を見ることに興味を持っていたそうで、幼いエウドクソスはその影響を受けました。彼は成人すると天文学者になったのでした。そして、各地で学問を修めたのちクニドスに戻り、そこに天文台を建てました。そして、人々に天文学と気象学と神学を教えました。天文学と気象学が一緒になっていることに違和感があるかもしれません。しかし、当時はこの2つの学問は明確には分かれていませんでした。さらに神学がここに登場することにもっと違和感があるかもしれません。しかし、当時では神々は天界に住んでいると考えられていましたし、太陽や月は神と考えられ、さらには星々の規則的な動きは神々の性質に由来するものと考えられていたので、天文学から神学に通じる道筋があったのでした。


エウドクソスの略歴を述べていきます。学問を修めようと決心した若き日のエウドクソスは最初、イタリア南部のギリシア植民市のタラスに向いました。タラスは今のターラントです。当時はギリシア人の都市で、BC 706年にスパルタ人によって建設されたとされています。彼はそこで有名な数学者で天文学者のアルキュタスの弟子になって学びました。アルキュタスはタラスの政治家でもあるという多才な人で、哲学者プラトーンの友人でもありました。また、シケリア島(シシリー島)を訪れ、ピリストンから医学を学びました。その後、23歳の時にアテーナイに向い、ソークラテースの弟子たちと交流し、プラトーンや他の哲学者たちの講義を数か月間受けました。当時、エウドクソスはとても貧しくて、アテーナイの都心に家を借りることが出来ませんでした。彼は物価の安い港町のペイライエウスに家を借りたのですが、そこからプラトーンの学園のあるアカデメイアまで11kmの距離がありました。彼は片道11kmの距離を歩いてプラトーンの講義を受け、そして同じ距離を歩いて借家まで戻る生活をしていました。エウドクソスの友人たちは、当時の天文学の中心地であったエジプトのイウヌウ、ギリシア名はヘリオポリス(=太陽の町)というところに彼が留学出来るのに充分な資金を集め、彼に渡しました。こうしてエウドクソスはヘリオポリス天文学と数学を学ぶことが出来ました。


その後、エウドクソスは今のイスタンブールに近いキュージコスや、クニドスに近いハリカルナッソスに滞在したのちアテーナイのプラトーンの学園アカデメイアに戻りました。この時期、彼がアカデメイアでえアリストテレースを教えたという伝えもあります。そして最後にアテーナイを去って、故郷のクニドスに戻り、そこに自分の学園を開いたのでした。


英語版のWikipediaの「クニドスのエウドクソス」の項によるとエウドクソスは、古代ギリシアの数学者としてはアルキメデスの次に偉大な数学者だったということです。彼は円錐の体積が同じ底辺と高さを持つ円柱の体積の1/3であることを証明しました。また、のちの積分の考えにつながるアイディアももっていて、それは120年ほどのちにアルキメデスによって発展させられ、そしてさらに1900年ほどのちにニュートンライプニッツによって発展させられて近代の積分法になったのでした。また、無理数についても考察していて、実際は無理数を考えなければならない証明の局面において、無理数を登場させるのを回避するような巧妙な証明を編み出したということです。

  • ここにはBC 6世紀の哲学者・数学者のピュータゴラースの教説の悪影響が見てとれます。ピュータゴラースは万物は比例関係に基づいていると考えており、それは自然数自然数の比でした(例えば2:3のようにです)。この教説が古代ギリシアの数学に与えた悪影響は大きくて、自然数自然数の比で表わすことの出来ない無理数は、文字通り無理なものとして嫌われることになりました。そのため当時は、自然数自然数の比で表わすことの出来ない比例関係は証明に登場してはいけないことになっていたのでした。

このような制約を回避して、実質上無理数を扱った証明を使ったのがエウドクソスだということです。しかし、私にはその詳細を理解することが出来ませんでした。


天文学者としての業績は、天動説に基づいて、星々の運動のメカニズムを同心球の組合せとしてモデル化したことです。しかし、この説も私にはよく理解出来ませんでした。そうはいっても、私が理解出来た範囲を何とか説明してみます。


まず、恒星が貼り付いている球があります。これは1日に1回回転します。さらに、この球から見て少しずつ動く球があり、この球に太陽が貼り付いています。この球は1年で1回転します。この回転軸は、最初の球の回転軸に対して傾いています。さらに太陽の球に対して約1か月で1回転する球があり、この球には月が貼り付いています。この回転軸も最初の2つの球の回転軸のどれに対しても傾いています。

(上:英語版のWikipediaの「クニドスのエクドスソス」の項より)


ここまでは何とか分かるのですが、さらに惑星の動きを説明するために、それぞれの惑星について同心球を2つ割当てているのを見ると、もう私には理解出来ません。これらの球の動きは、英語版のWikipediaの「クニドスのエクドスソス」の項にアニメーションが出ているのですが、そのアニメーションを見ても私には理解出来ませんでした。それはともかくとして、このような回転軸の方向がそれぞれ異なる複数の同心球が示す動きが複雑なものになることは想像できると思います。そしてそのような球面の動きを考えるには、まるでルービックキューブについて考えるような、相当な知力が必要であることも想像できると思います。


さて、彼が生涯を終えたのはBC 355年頃と推測されています。彼が生きていた期間のクニドスはずっとペルシア領でした。のちにペルシア王国を倒すことになるアレクサンドロスマケドニア王国で誕生したのは、彼が死んだ年に近いBC 356年でした。