神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ナクソス(13):イオーニア人(2)

しかしヘーロドトスの記事を考慮すると、前回の最後に述べたようなすっきりした推測になりません。まずヘーロドトスはイオーニア人は混成種族だと主張します。

彼ら(=イオーニア人)の重要な構成要素を成しているエウボイアのアバンテス人は、名前からいってもイオニアとは何の関係もない種族であるし、またオルコメノスのミニュアイ人も彼らに混入しており、さらにカドメイオイ人、ドリュオペス人、ポキス人の一分派、モロッシア人、アルカディアのペラスゴイ人、エピダウロスのドーリス人、その他さらに多くの、種族が混り合っているのである。


ヘロドトス著 歴史 巻1、148 から


また、イオーニア人の多くはイオーニア人と呼ばれることを好まないとも言っています。

アテナイをはじめ他のイオニア人も、イオニア人と呼ばれることを好まず、その名称を避けたのであったが、今日でもなお、多くのイオニア人はこの名称を恥じているように私には思われる。


ヘロドトス著 歴史 巻1、143 から


しかし、例外的にイオーニア人であることを積極的に主張する町々もあって、それが地方としてのイオーニアにある12の町々であるといいます。つまり、下の図で赤線で囲った地方の町々です。

ところが前に挙げた十二の町だけは、この名称に誇りをもち、自分たちだけで聖地を定め、これをパンイオニオンと名付けたが、他のイオニア人には一切この聖地にあずからせないことを議決した。


ヘロドトス著 歴史 巻1、143 から


ヘーロドトスは、これらの町の人々はかつては、ペロポネーソス半島の北側、古典時代はアカイアと呼ばれる地方に住んでいたと言います。そしてその頃も12の町に住んでいたので、イオーニアに移住しても12の町を作ったのだと言います。

さて、イオニア人は十二市の同盟を作って、それ以上の町の参加を受け入れようとしなかったのは、彼らがペロポネソスに住んでいた時にも、彼らをペロポネソスから追い出したアカイア人が現在そうであるように、十二の地区に分かれていたからであると私は思う。すなわちシキュオンの町に最も近くペレネが先ずあり、つづいてアイゲイラとアイガイ(中略)、ブラ、イオニア人アカイア人との戦いに敗れ逃げ込んだ町ヘリケ、さらにアイギオン、リュペス、パトレエス(パトライ)、ペレエス、大河ペイロスを擁するオレノス、デュメ、および唯一の内陸の町トリタイエエス(トリタイア)がそれである。
 これら十二の地区は、現在ではアカイアであるが、当時はイオニア人の土地であったのである。


ヘロドトス著 歴史 巻1、145~146 から

イオーニア人の故地を下の図で赤線で囲んで示します。左側の囲みの中がイオーニア人の故地であり、そこから右側のイオーニア地方に移住した、ということです。


以上の話は、いわゆるイオーニア地方に住むイオーニア人の起源の話でした。ナクソスパロスデーロスなどのエーゲ海の中ほどの島々に住むイオーニア人については述べられていません。それで、私の今の理解としては、これらエーゲ海の中ほどに住むイオーニア人については、イオーニアに移住したイオーニア人の移住よりもっと前に、前回述べたように、クレータ島からエーゲ海の支配権を奪ったアテーナイを中心とする勢力に起源を持つと考えています。


ただ、どちらのイオーニア人も、他のいろいろな種族を受け入れてきていたのでしょう。そのためにひとつに絞れるような起源はなかったとも言えるのだと思います。