神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

ナクソス(12):イオーニア人(1)

アルカイック期、古典期のエーゲ海の話を書いていくと、どうしてもイオーニア人が主体になります。それで、イオーニア人の来歴を一度、ゆっくり調べてみたいとずっと考えていました。もやもやと考えているだけでは先に進まないので、一度、今の自分が知っていることを書いてみて、頭の中を整理しようと思いました。別にナクソスだけがイオーニア人の都市なのではないのですが、このナクソスの回にイオーニア人について書くことにしました。


イオーニア人というのは、古代のギリシア人の中でイオーニア方言を話す人々を指します。古代の伝統では、アテーナイを中心とするアッティカ方言を話す人々もイオーニア人に含めています。よく分からないのですが、アッティカ方言とイオーニア方言はきっと近いのでしょう。古典期のイオーニア方言の分布は下の地図での青紫色の部分になります。アッティカ方言はピンク色の部分になります。


ややこしいのですが、当時の地名としてのイオーニアは、このイオーニア方言の分布地域の一部でしかありません。イオーニア地方というのは下の図の赤線で囲った地域になります。

ここにはイオーニア12都市同盟に属する12の都市がありました。それらは、キオスエリュトライポーカイアクラゾメナイテオース、レベドス、コロポーンエペソス、-サモス、プリエーネー、ミュウス、ミーレートスです。イオーニア地方でないところにもイオーニア人はいました。アテーナイがそうですし、このナクソスもそうです。


私がずっと疑問に思っているのはイオーニア人はギリシア神話にほとんど登場しないということです。現存するギリシア最古の文学であるホメーロスの「イーリアス」と「オデュッセイアー」を見てみると、イオーニア人という言葉が登場するのは1回だけで、それは「イーリアス」に登場します。

その処は、アイアースの船勢と、またプローテシラーオスの船勢とが、
灰色の海の浜辺に 引き上げられて置かれた場所で、この上あたりが
囲い壁のこしらえ方の一番低いところである。そこで取りわけ
(トロイエー方は)勢い烈しく、自分らも馬車も 戦闘に加わっていた。
 この所で、ボイオーティア勢、また衣を引き摺るイオーニア勢など
またロクリス勢やプティーエーの勢や、誉れも高いエペイオイらが、
船をめがけて進み寄る(ヘクトールを)やっとのことで支えていたが、到底
火焔のように勇しいヘクトールをば、味方の陣から追い払いはできなかった。
こちらの方にはアテーナイ勢から、撰りすぐった者、その部隊には
大将としてペテオースの息子、メネステウスが加わり、つづいて
ペイダースやスティキオネスや、雄々しいビアースが附き従う、こなた
エペイオイ軍には、ピューレウスの子メゲースや、アンピーオーンやドラキオスが、
ティーエー軍には戦(いく)さに手剛いメドーンやポダルケースが先頭に立つ。


イーリアス 第13書 685行あたり


これだけでははっきりしませんが、「イオーニア勢」という言葉のあとに「アテーナイ勢」という言葉があり、ひょっとすると「イオーニア勢」というのは「アテーナイ勢」を言い換えたのかもしれません。しかし、そうと断言するには記述があいまいです。ところで、イオーニア地方の住民は「イーリアス」の世界ではトロイア側になっていて、ギリシア人が住んでいなかったように描かれています。


このように古い神話にはほとんど登場しないイオーニア人が、神話の世界とどのようにつながっているのかが、私の関心事です。それはイオーニア人の起源にも関係してきます。


ところでギリシアの先史時代の文字である線文字Bで書かれた、クレータ島のクノーソス出土の粘土板には、「イオーニア人」という言葉があるそうです(英語版Wikipediaの「イオーニア人」の項)。ただ、線文字Bというのは当時、物品の管理にのみ使われていたような文字なので、ここから詳しい情報を得るのは難しいです。英語版Wikipediaの「イオーニア人」の項では、「このクノーソスの粘土板はBC 1400年か1200年のものと推定され、よってもしその名前がクレータ人のことを指しているならば、それはクレータでのドーリス人の支配より以前である。」と書いていて、理由はよく分かりませんがこの「イオーニア人」をクレータの住民ではないか、と推測しているようです。もし、この頃イオーニア人がクレータに住んでいたとしたら、それはテーセウスのミノタウロス退治の伝説が暗示するように、この頃アテーナイの勢力がクレータ島に侵攻して住みついたのではないでしょうか? もしそうだとしたら、ナクソス島へのイオーニア人の到来もその頃のことなのかもしれません。


ただ、古典期のギリシアにおいてクレータ島の住民はイオーニア人ではなく、ドーリス人でした。ですので上記の説明は、こう言わなければなりません。以前クレータがエーゲ海全体を支配していたが、ある時アテーナイを中心とするイオーニア人がクレータの勢力に勝って、エーゲ海の支配権を奪ったばかりか、その一部はクレータ島に移り住んだ。しかし、その後ドーリス人がやってきてクレータ島の支配権をイオーニア人から奪った、と。