神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

スミュルナ(8):ミムネルモス(2)

ネムルモスより約300年後の、エジプトのアレクサンドリアに集まったギリシア人の学者たちは、往古の詩人たちの詩集を編纂したのですが、ミネムルモスの分は2冊の本にしかなりませんでした。ステーシコロスという詩人の分は26冊もあったということです。ここから推測するに、ミネムルモスは寡作の詩人だったようです。この2冊の本のうちの1冊が「ナンノ」という名前を付けられました。これは彼がエレゲイア詩を歌う際に笛を吹いて伴奏した女性の名前であったと伝承は述べています。エレゲイア詩は通常、笛の伴奏つきで歌われていたのでした。本当かどうか分かりませんが、ナンノがミムネルモスの恋人だったという人もいます。もう1冊のほうは「スミュルネイス」と名付けられました。これは「スミュルナの歌」という意味でした。この本にはスミュルナの歴史に関する叙事詩が収録されていたようです。


ネムルモスの詩は酒宴の席で人気があったというのですが、たとえば次に紹介する断片は、どんな感じで歌われていたのでしょうか?

Would that the fate of Death might overtake me without disease or woeful trouble at threescore years!


60歳で死の運命に会いたいもの、病気や悲惨な悩みとは無縁のまま! 

こんな断片も残されています。

Enjoy yourself. Some of the harsh citizens will speak ill of you, some better.


楽しもう。辛辣な市民のうち何人かはあなたの悪口を言うだろうが、良いことをいう人もいよう。


やがてスミュルナの陥落の日が近づいてきます。リュディアの圧力が高まる中で、ミムネルモスは上に挙げたような詩とは趣を変えて、昔(それは彼が生まれる前のことでしたが)リュディア王ギュゲースの軍を破ったヘルモス川のほとりの輝かしい勝利を歌います。下に引用する断片は、過去の勝利の時の勇敢なスミュルナの戦士たちを称えるとともに、現在の市民に対して奮起を促しているようです。

Not his were such feeble might and poor nobility of heart, say my elders who saw him rout the serried ranks of Lydian cavalry in the plain of Hermus, rout them with a spear; never at all would Pallas Athene have had cause to blame the sour might of the heart of such as him, when he sped forward in the van, defying the foeman's bitter missiles in the thick of bloody war. For no man ever wrought better the work of the fierce battle in face of his enemies, when he went like a ray of the Sun.


彼はそのように弱々しくなく、心の高貴さに不足はなかった。彼がヘルモスの平野でリュディアの騎兵の密集した隊列を敗走させ、彼らを槍で敗送させたのを見た私の年長者たちは言う。彼が先陣で前進し、血なまぐさい戦争の中で、敵の苦い飛び道具に挑んだとき、パラス・アテーナーが彼のような心の苛烈な力を咎めることは決してなかっただろう。彼が太陽の光線のように進んだとき、敵に直面して激しい戦いのわざをこれほどうまく行った人はいなかったので。

パラス・アテーナーは女神アテーナーのことです。アテーナーは戦いの女神でもありました。そのアテーナーが「彼」の勇猛な心を咎めるようなことはなかっただろう、と詩人は歌っています。




(女神アテーナー


スミュルナがリュディア軍によって包囲された時、ミムネルモスはスミュルナの城壁の中にいたのかもしれません。彼は戦士として戦ったのでしょうか? 私はその時彼はすでに老年で、戦士としては戦えなかったと想像します。そしてスミュルナ陥落とともに命を落としたのでしょう。