神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

サモス(2):ミーレートスとの抗争

 サモスが建設されたのち、サモスはイオーニア12市の同盟に参加しました。この同盟にはサモスのほかに、ミーレートス、ミュウス、プリエーネー、エペソスコロポーン、レベドス、テオースクラゾメナイポーカイアキオスエリュトライが参加していました。


 この12市同盟は、エペソスの建設者であったアンドロクロスが組織したものだという説がありますが、もっとあとになってから出来たものだという説もあります。例によってこの頃の出来事はよく分かっていません。この12市はサモスから目と鼻の先の大陸側にあるミュカレーに自分たちだけの聖地を定め、そこに「ヘリケーのポセイドーン」に捧げたパンイオニオン(全イオーニア)という神殿を建てて礼拝していました。


 同盟が出来たからといってこの12市が仲良くやっていたとは限りません。初期の頃は仲良くやっていたのかもしれませんが、BC 7世紀にはサモスはミーレートスと激しく対立するようになりました。というのはサモスもミーレートスもその発展の多くを貿易に依存していたのですが、貿易上の争いが、深刻な対立を引き起こしていたのでした。サモスの船もミーレートスの船ももエーゲ海を縦横に横断し、さらにはエーゲ海を越えて黒海沿岸や、エジプトやリビアとも交易していました。


 BC 7世紀になって、エウボイア島にあって隣接する2つの都市、カルキスエレトリアが両者の中間にある豊かな平野レーラントスの帰属をめぐって、戦争を始めました。これは今ではレーラントス戦争と呼ばれています。


 この頃のギリシア世界では遠隔の都市同士の同盟関係は存在しなかったのですが、王家や貴族の家柄の通婚関係や友好関係が存在し、それらの関係によって遠隔の地もその戦争に関与することになりました。トゥーキュディデースによれば、この戦争はこの時代としては例外的に、全ギリシア都市を巻き込んだということです。

陸戦があったことは事実であるが、それらはいずれの場合にも、関係国は隣接国同志に限られており、自国の領土から遠くはなれた敵国を屈服させるための遠征は、ギリシア人のなすところではなかった。(中略)あえて例外を求めれば、古い昔にカルキスエレトリアの戦が行われたが、この戦では他のギリシア諸邦もいずれかの側と同盟をむすび、敵味方の陣営にわかれた。


トゥーキュディデース著「戦史」 巻1、15 から


 この戦争が、サモスとミーレートスの公的な戦争のきっかけになりました。サモスがカルキスを支援し、ミーレートスエレトリアを支援したからです。

エレトリアカルキスと戦った時、ミレトスエレトリアの側に立って援助した・・・なおこのときエレトリアミレトスを敵として戦ったカルキスを助けたのはサモスであった・・・・


ヘロドトス著「歴史」巻5、99 から

 この戦争ではカルキスが勝利を得たらしいのですが、昔のことなのでよく分かりません。確かなのは、カルキスエレトリアもそれまではエーゲ海において主導的な勢力であったのに、この戦争のために消耗し、両者とも衰退する結果になったということです。一方、サモスとミーレートスの戦いは、ミーレートスが勝ったようで、こののち、ミーレートスエーゲ海東部の主導権を握ることになりました。


 この戦いの時にサモスの王位にあったのがアンピクラテスという人物であったという説があります。それはヘーロドトスによる以下の記事をレーラントス戦争に結び付けた説です。

アンピクラテスがサモスに君臨していた頃、彼ら(サモス人)はアイギナを攻めてその住民に多大の危害を加え、彼らもまた反撃に会って損害を蒙ったことがあった。


ヘロドトス著 歴史 巻3、59 から

その説によれば、サモス王アンピクラテスによるアイギーナ攻撃はBC 670年頃だとされています。サモスがアイギーナを攻撃した理由は、アイギーナとの間の、エジプトとの交易をめぐる対立だったと推定されています。


 この敗戦を期にサモスは海軍力の増強を図ることにしました。風があてにならないエーゲ海では、人手による推進力が重要視されていました。そこでなるべく多くの人間がオールを持って漕ぐことが出来る構造が工夫され、当時の最新鋭の戦艦は三段櫂船と呼ばれる構造になっていました。これを開発したのはギリシア本土のコリントスの造船家アメイノクレースでした。そこでサモス政府はアメイノクレースを招聘して、三段櫂船を造らせたのでした。
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船の構造を、ほとんど現在のものに近く改新したのは、コリントス人が最初であり、またギリシアで最初の三重櫓船を建造したのも、コリントスであった、と伝えられる。さらに、サモス人のために四艘の船を造ったのも、コリントスの造船家アメイノクレースであったらしい。アメイノクレースがサモスに赴いたのは、今次大戦(=ペロポネーソス戦争)の終った年から遡って、せいぜい三百年くらい昔であったろうか。


トゥーキュディデース著「戦史」 巻1、13 から


 なお、レーラントス戦争の最中に起きた第二次メッセニア戦争(BC 685~BC 668。これはスパルタとその隣国のメッセーニアとの戦争です)にサモスは艦隊を派遣してスパルタを援助したとのことです。