神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アイギーナ(10):サラミースの海戦

こうして始まったサラミースの海戦ですが、この海戦で一番活躍したのはアイギーナの艦船でした。


(左:サラミースの戦士の像)

さてサラミスのペルシア軍艦船の大部分は、アテナイ軍とアイギナ軍のために破壊され航行不能の状態に陥った。ギリシア軍が整然と戦列もみださず戦ったのに反し、ペルシア軍はすでに戦列もみだれ何一つ計画的に行動することができぬ状態であったから、この戦いの結果は、当然起るべくして起ったのである。ただしこの日のペルシア軍の働きは天晴れで実力以上の力を示したというべく、エウボイア沖の海戦当時と比較にならぬものがあった。ペルシア軍の将兵はいずれも大王の目が自分に注がれているものと思い大王を恐れるあまり大いに戦意を燃やしたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、86 から

敗走したペルシア軍がパレロン目指して航行しているとき、これを海峡の出口に待ち構えたアイギナ部隊は、語るに足る見事な働きを示したのである。すなわちこの混乱の内にアテナイ部隊は抵抗する船と敗走する船を撃破したが、アイギナ部隊は海峡を脱出せんとする船の撃滅に当った。こうしてペルシアの艦船はようやくアテナイ軍の迫撃を逃れると、今度はアイギナ部隊の中へ直進する羽目に陥ったのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、91 から

この海戦でギリシア軍中最も名を揚げたのはアイギナ軍で、アテナイ軍がこれに続いた。個人ではアイギナ人ポリュクリトス、アナギュルス区のエウメネスおよびアルテミシアを追撃したパレネ区出身のアメイニアスの二人のアテナイ人であった。


ヘロドトス著「歴史」巻8、93 から

このように、ヘーロドトスはアイギーナ軍の働きが一番であったと述べています。


上の引用に登場する「アイギナ人ポリュクリトス」は、「(7):ペルシアからの服属要求 」に登場したクリオスの息子です。クリオスは、スパルタ王クレオメネースとレオーテュキデースによって親ペルシア勢力の中心人物の一人として逮捕され、アテーナイに送られて人質になったのでした。クリオスは「アイギナで最も勢力をふるっていた」とありますから、その息子のポリュクリトスもアイギーナの最有力者の一人なのでしょう。
さて、このポリュクリトスは、以前のアルテミシオンの海戦の前哨戦で捕虜になったアイギーナ人ピュテアスを、このサラミースの海戦でペルシア軍の一角を担うシドンの船から救出しています。シドンというのはフェニキアの町のひとつです。ピュテアスについては前回の「(9):進め、ヘラスの子らよ」に登場しました。

このシドンの船というのが他ならぬ、スキアトス島附近で哨戒中のアイギナ船を捕獲した船で、かのイスケノオスの子ピュテアスがこれに乗船していた。これはかつてペルシア軍がその武勇に感じ入り全身に手傷を負ったのを船内に保護した人物である。ペルシア兵とともにこのピュテアスを乗せていたシドンの船が捕獲され、かくてピュテアスは救われてアイギナへ帰国することができた。


ヘロドトス著「歴史」巻8、92 から

ここまでの記述から、アイギーナは今までのアテーナイに対する恨みを水に流して、共通の敵であるペルシアに向っているようにもみえます。しかし実はそうでもなかった、という記述もあります。上のポリュリトスがアテーナイの司令官テミストクレースと海戦のさなかに出会った時の話です。

この時敵船を追っていたテミストクレスの船と、シドンの船に突撃したアイギナ人クリオスの子ポリュクリトスの船とが遭遇した。(中略)
 さてポリュクリトスはアテナイの船に眼をとめ、司令官の標識を見てそれを知ると、アイギナがペルシアに与したという汚名を蒙ったことに関連して、大声でテミストクレスを非難し嘲罵した。


ヘロドトス著「歴史」巻8、92 から

ヘーロドトスがポリュクリトスの言葉を記録していたら、もっといろいろなことが分かったと思うのですが、書かれているのはこれだけです。ポリュクリトスはアイギーナの有力者で、海戦で大活躍しているのですから、アイギーナ軍の司令官だったかもしれません(ヘーロドトスはそうは書いていませんが)。そうするとこれはひょっとするとアイギーナとアテーナイの司令官同士の遭遇だったのかもしれません。そこでポリュクリトスが「テミストクレスを非難し嘲罵した」のですから、やはりアイギーナはアテーナイに強い恨みを含んだままなのでした。


それでもアイギーナとアテーナイが海戦中に仲違いすることはなく、ギリシア側はこの海戦で大勝し、その結果ペルシア王クセルクセースはあわてて本国に逃げ帰ったのでした。

海戦が終った後、ギリシア軍はなおその海域に漂流している破損した船体をサラミスに曳航し、新たな海戦に備えていた。彼らはペルシア王が残存の艦船を用いて攻撃してくることを予期していたのである。


ヘロドトス著「歴史」巻8、96 から

夜が明けて敵の陸上部隊がもとのままに留まっているのを見たギリシア軍は、水軍もパレロン附近にあるものと思い、敵が海戦を試みるであろうと信じて、抗戦の準備にかかっていた。しかし敵の水軍がすでに退却したことを知ると、ただちに追撃することに決した。彼らはアンドロス島まで迫ったが、クセルクセスの水軍の姿を認めることができなかった(後略)。


ヘロドトス著「歴史」巻8、108 から


翌年、ギリシアの海軍が集結したのはアイギーナの地でした。そしてそれらの艦船がデーロス島に進み、そしてイオーニアのミュカレーに上陸してペルシア軍を敗走させたのでした。