神話と歴史の間のエーゲ海

古代ギリシアの、神話から歴史に移るあたりの話を書きました。

アイギーナ(4):アテーナイとの不和の起源

これは、アイギーナとアテーナイがどうして敵対関係になったかという話です。この話は、アイギーナがエピダウロスから独立する前の頃から始まります。

エピダウロス穀物の不作に悩んでいたことがあった。そこでエピダウロス人は、この天災についてデルポイの神託を伺ったのである。巫女はダミア、アウクセシア二女神の神像を奉安せよと告げ、そうすれば事態は好転しようといった。そこでエピダウロス人が、神像は青銅製にすべきか、それとも石材を用いるべきかと訊ねたところ、巫女はそのどちらも宜しからず、栽培したオリーヴの材を用いよと告げた。そこでエピダウロス人は、アテナイのオリーヴ樹が最も神聖なものと考えていたので、アテナイに対しオリーヴの樹を一本伐採させて欲しいと頼んだのである。一説によれば、当時はまだアテナイ以外には世界中どこにもオリーヴの樹はなかったともいう。アテナイ側では、エピダウロスがアテナ・ポリアスとエレクテウスに毎年犠牲を供えるという条件で許可しようと答えた。エピダウロス人はこの条件を受諾して望みのものを手に入れ、このオリーヴの材で神像を造り、これを奉安したのである。かくてエピダウロスでは五穀が実り、エピダウロス人アテナイに対して協定したとおり実行したのである。


ヘロドトス著「歴史」巻5、82 から

上記の引用に登場する「巫女」とは「デルポイの巫女」のことで、デルポイにあるアポローン神の神託所で神託を人間に伝える役割を持つ巫女です。したがってこの巫女の語ることはアポローン神が語ることとみなされていました。また、「ダミア」と「アウクセシア」はあまり有名ではない女神ですが、ともに豊穣の女神だということです。一説にはこの女神たちはかつては人間の女性で、クレータ島の出身で友達同士だったといいます。それがどういうわけなのか、トロイゼーンという町に来た時に町の騒乱に巻き込まれて殺されてしまったというのです。その2人を女神として祭ったというのですが、話が断片的でよく理解できません。


 さてアイギナは、それ以前から当時に至るまでエピダウロスに従属しており、アイギナ人は自分たちの間の訴訟事件も、エピダウロスへ出かけて行って処理してもらっていたのである。しかしこの頃から多数の船を建造し、浅慮な自負心に駆られ、エピダウロスから離反してしまった。アイギナはエピダウロスとの間が不和になると、制海権を利してエピダウロスの領土を荒らしたが、遂には右に述べたダミアとアウクセシアの神像をエピダウロスから奪うことまで敢えてした。奪った神像をもち帰り、自国領の中央部、町から二十スタディオンほどはなれたところにあるオイエという場所に据えて祀った。
 神像が盗まれてからは、エピダウロスアテナイとの協定を履行しなくなった。アテナイは使者を送って憤怒の意を伝えさせたが、エピダウロス人は自分たちの行動には過ちはない所以を説明した。すなわち、自分たちは神像が自国内にあった間は、約束を果していたのである、神像が奪われた後もなお犠牲を送らねばならぬというのは筋が通らない、むしろ現在神像を保有しているアイギナに、その義務を果たさせるがよいといったのである。
そこでアテナイはアイギナに使者を送り、神像の返還をせまったところ、アイギナはアテナイと関わり合いになる筋は何もない、と突っぱねてしまった。


ヘロドトス著「歴史」巻5、83、84 から


このあとの話はアテーナイ側とアイギーナ側で主張が異なっていて錯綜しているので、アイギーナ側の主張に基づいて、かいつまんでご紹介します。


アテーナイは船を連ねて神像奪還のためにアイギーナに寄せてきました。アイギーナ側は事前にアルゴスに助力を頼んであり、アルゴスの兵はこのときまでにアイギーナ島に到着しておりました。そこで、アイギーナとアルゴスの兵は物陰に隠れてアテーナイ人たちの行動を監視しておりました。アテーナイ人たちは、誰一人抵抗してこないので、船を下りて神像の安置してある場所へ向いました。神像に綱をかけて引いたところ、不思議なことが起きたといいます。神像が、引いていくアテーナイ人の前に膝をついたのだそうです。それからこの2つの神像は膝をついた姿勢のままになったのだといいます。ここで、アイギーナ勢とアルゴス勢はアテーナイ人たちに不意に攻撃をかけました。また、この時に、雷鳴と地震が起ったのだともいいます。アテーナイ側は一人を残して全滅してしまい、その一人だけが何とか逃れてアテーナイに帰国しました。
このことがあってからアイギーナとアテーナイは互いに不和になったのだということです。